銀座一丁目新聞

安全地帯(

1年ぶりに都内を訪れた男の感慨

板垣 雅夫

神奈川県逗子に住む板垣雅夫君と1年ぶりで昼食をともにした(8日・市ヶ谷)。彼はコロナ禍で外出を控えて来た。久しぶりで東京を訪れた郊外居住者で後期高齢者の感想を送ってくれた。橫浜まではよく行くが、たいがいはそこで用事が済ませ、その先には足を延ばさなかった。「1年ぶり以上という、新鮮な目でみた東京にはいくつかの戸惑いがあった」という。

まず電車のドアと駅ホームの間のすき間の広さ。橫浜までの駅では感じなかったが、慣れない駅のホームでは微妙なカーブが気になり、とても広く感じた。気持ちの中で、ヨイショっと声をかけないと電車内に乗り込めなかった。
エスカレーターも怖かった。上から下に降りる時、足がすくんでしまい、乗るときに1、2秒、立ち止まってしまった。東京駅の長い下りのエスカレーター、まるで鋼鉄製の巨大なワニの大口に吸い込まれていくような感覚であった。
エスカレーターでは、左手でベルトをつかんでいるが、足や体全体が震えるようで、もし倒れたらどうしようと全身に力が入って緊張した。エレベーターを探したが、なかなか見つけることが出来なかった。

市ヶ谷駅では、駅構内から一般道路に接する部分が凍結しており、ツルツルと光っていた。幅50センチ、長さ3メートルぐらいであった。この上は歩けない。若い人は平気で氷の上を歩いていいたが、私は、氷の幅が30センチ程度のところを探し、渡たった。雪が降ってから2日以上たっているから、駅員が氷を砕いて、だれでも歩けるようにするのが当然だと思う。あんなに人通りが多い駅なのに、だれも氷砕きをしないのか。駅員も、黙っている駅利用者も怠慢ではないかと思った。

どの駅でもそうだったが、こちらはゆっくりと歩いているのに、後ろから来た人が追い越しをする際、カバンや荷物をぶつけたり、手や体の一部をぶつけても平気で黙って通りすぎていくのがが気になった。そんなに混雑しているわけでもないのに、どういうことなんでしょうか。

かつてはそういう東京に毎日、自分も通っていたのかと不思議だった。とにかく、電車、エスカレーター、駅構内歩きともに怖かった。巨大な工場の中を歩いているような感覚にとらわれた。冷たかった。暖かさ、温かさを感じることがでなかった。ここは、健康で丈夫な戦士たちだけがいる場所ではないかと思った。
高齢になって初めて感じたことだが、この東京は、高齢者や弱者に対する優しさ、親切がまだ足りないに思った。安全な感覚で利用できるエスカレーター、ゆっくり歩ける通路、ちょっと気軽に休める店や空間などが欲しい。

都市機能としてのハードウエアは、巨額の投資によって実現、充実してきているとは思う。人間に優しいハードウエア、ヒューマン・ハードウエアは東京ではまだまだ開発、整備されていないような気がする。

これまでは元気なもの、強いもの、急ぐもの、稼ぐものを対象とした都市機能ばかりが優先されて開発、整備されてきたのではないでないか。
これからは、当然の高齢化社会なのですから、高齢者や身体的弱者は言うまでもなく、子どもや女性たちと万人を意識した都市づくりが必要ではないか、と痛感した。
コロナがなく、それまでと同じように東京に通っていたら、いくら加齢が進んだとしても、こんなことには気がつかなかったかもしれない。コロナ禍の1つのよかった点かもしれない。

このことは同時に久しぶりで歩いた水道橋駅の周辺でも感じた。後楽園側は都市化され整備されているが、神田側はまだ未整備で、毎日新聞が移転してきた昭和40年早々の神田市街地のようであった。日大法学部、経済学部の大きなビル、東京歯科大学の建物などはポツンポツンとあったが、全体的に雑然としている。そこを4、5分歩くと都市化された神保町のビル街が見える。ということは、ここはまだまだ開発、整備の余地はある、ということだと思った。東京にはこういうところは多く残っているでしょう。

東京は、まだまだソフト、ハードの面で投資をしていく余地がある、まだまだ満足のできる状態ではない、とりわけこれからはハードとソフトをつないでいくヒューマン・ハードウエアー、人間に優しいハードウエアづくりという考え方が必要ではないかと思った。視覚的なものが中心となるでしょう。それへの取り組みは日本を発展させてくれるかもしれない。
いずれにしろ、1年ぶり以上の東京行きで、東京には課題も多いが、将来に向かっては非常に可能性のある都市だと思った。