銀座一丁目新聞

追悼録(

藤村操の「巖頭の感」

柳 路夫

子どもたちの自殺がコロナ禍のもとで増えた。新聞を読んでもネットで見ても子どもたちの自殺が絶えない。さる日のネットのニュースはつぎのように伝えていた。「沖縄県教育委員会は県立コザ高校の運動部主将を務めていた2年の男子生徒が1月に自殺していたと発表した。部活動顧問の男性教諭による不適切な指導や言動が、自殺に至るストレスの主な要因になったとみている。弁護士などでつくる第三者調査チームの報告書がまとまったのを受けて記者会見した金城弘昌教育長は「防げなかったことに対して慚愧の念に堪えない。重い責任を感じている。心よりおわび申し上げる」と述べたとある(3月19日)。昨今の自殺の原因は会社の上司の暴言、上司のシゴキ、仲間によるいじめなどによるものが少なくない。

脈絡もなく明治時代(36年5月22日)、日光華厳の滝で自殺した一高生・藤村操(18)の「巖頭の感」を思い出す。

「悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす、ホレーショの哲学竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ、萬有の眞相は唯だ一言にして悉す。曰く、「不可解」。我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は大なる楽観に一致するを」(明治36年5月27日・報知)

18歳の藤村は滝の近くの木にこの言葉をナイフで削って墨で書いた。藤村は投宿した日光の旅館から親にあてた遺著を書いており覚悟の自殺であった。藤村が投身自殺してから華厳の滝への投身自殺は未遂も含めて185名に及んだ。

私はここでシェイクスピアの最も有名な言葉が浮かぶ。「生きるべきか、死ぬべきか」(TO BE, OR NOT TO BE, THAT IS THE QUESTION)。一高の校長であった安倍能成は「TO BE, OR NOT TO BE の問題に即席の返事を与え得る哲学に出くわすことは稀有のことであろう」といっている(「青年の自殺について」)。演劇「ハムレット」ではデンマークの王子ハムレットが毒殺された父の亡霊に出会い、現王である叔父への復習を命じられる。ハムレットはその事実を知って自分を含めた人間不信におちいる。現状を維持して無為に生きるか、死を賭して現状を打破するか煩悶するのである。

小田島雄志さんは「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」と訳した。人間は「生か、死か」と問い詰められるよりはやんわりと「このままでいいのか、…」と問われたほうが心地よい。また答えやすい。

私は自殺志願者には「さりとは狭き御了簡、死んで花が咲くかいな」(一中節「小春髪結の段」)死んだら何もかもおしまいである。生きておればこそ花が咲くのである。もともと心中を決意した小春の心を察して髪結のお綱が髪を直しながらさり気なく意見をする一節の言葉である。今年は上野公園の桜見物の代わりに府中東郷寺のしだれ桜を見物した(3月24日)。それなりの賑わいであった。