澤畠毅君を偲ぶ
柳 路夫
毎日新聞社会部で一緒に仕事をした澤畠毅君(元出版局次長)がなくなった(1月12日・享年81歳)。訃報の知らせと同時に中島健一郎君と板垣雅夫君かメールがくる。「わー、とても悲しいです。半年ほど前、カラオケを習っていると、師匠の演歌歌手のCDを送ってくださいました。歌を習うくらいならお元気と思っていました。僕は沢畠さんが浅間山荘事件の時、公安担当記者として軽井沢署に到着し、長野支局から駆けつけお会いしたのが初めてです。レイクニュータウンで銃声という情報が入ると、無線機を渡され、現場に行けといわれました。現場一番乗りでした。警視庁のサブキャップをされた時は一課担当記者で、お世話になりました。沢畠さんはいつも笑顔で、切った張ったの事件記者なのにユーモアの絶えない方。その余裕ある態度を尊敬していました。参列辞退とありますが、行きたいと思っています。皆さまはどうされますか。お花を供えたい、と思っていますが、もしロッキード班などで送るなら乗ります。または自分で送っても良いです。沢畠さんの冥福を祈ります。合掌」。(中島健一郎君)。中島君は代表して告別式に参加した。
「板垣雅夫です。うわぁ、本当ですか。沢畠さん、亡くなったんですか。昨秋、中島家土壁の家の訪問を希望され、何度かメールや電話でやりとりしました。結局、直前にキャンセルとなりましたが、大丈夫、そのうちよくなるよ、というメールをいただき、回復を信じていました。今夏のお酒の懇談場所は、沢畠さんの都合を優先しようと考えていましたので、本当に残念です。コロナ禍ですぐに偲ぶ会という訳にもいきませんが、渋澤さんからは賀状で6月ぐらいにはなんとかなるだろうと言ってきておりますので、早い段階で会合を考えたいと思います。新年早々、つらい知らせです。心からご冥福を祈りたいと思います」。
私も彼とは演歌歌手のCDを送ってくれた関係でメールをやり取りしたのが最後となった。昨年の5月9日のブログにこう記す。『沢畠毅君が8日、歌手原眞由美さんのCD「倖せのれん」を贈ってくれた。しばらくあっていないが忘れずにいてくれたのが嬉しい。新型コロナウイルスで暇を持て余しているときだけにひとしおであった。手紙には原真由美さんは澤畠君のカラオケ教室の先生。一度は歌手を志したが目が出ず子育てが終わり一人息子の大学へ進学した機に再度歌手に挑戦したという。「若芽ふく再度挑戦歌の道」悠々
作詞は加津よう子。原眞由美さんの実母・西山和子さんだそうだ。作曲・編曲:松井タツオさん。昔聞いた話だが毎年デビューする新人歌手がざっと300人。その新曲だけで千曲をこす。その中でスター街道を進むのはわずか1%という。だが人生は様々。初志貫徹もいい。人生は挑戦である。澤畠君が押す原真由美さんの健闘を祈るのみである。「五月晴れ倖せのれん歌響く」悠々』
覚えているのは昭和51年7月27日にロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕された日である。彼は後楽園球場で都市対抗野球大会を取材中であった。『田中逮捕』を聞いてすぐさま球場のウグイス嬢に試合の合間のこのニュースを読んでくれと頼んだ。そのニュースが球場に流れると拍手が起きたと聞いた。そんな機転もきく記者であった。