銀座一丁目新聞

追悼録(

秋山智英君を偲ぶ

柳 路夫

同期生秋山智英君がなくなった(9月1日享年95歳。)元林野庁長官であった秋山君には本当にお世話になった。多摩地区の同期生が集まって高尾山の森林科学植物園の「桜を見る会」には必ず参加して面倒を見てくれた。桜見物後の懇親会でも同期生一人ひとりにお酒をついで回った。偉ぶらない気さくな人柄であった。「森林浴」も彼の造語である。著書まである。長野県佐久にある権現山に立てられた「遙拝所跡」にある100本の桜の植樹も彼の尽力である。彼は日中友好にも力を尽くした。2003年の4月1日号「花ある風景」に紹介したので再録したい。彼の人柄がよく出ている。

題して「北京にサクラはいまが満開である」

北京の玉淵潭公園の櫻は今が見ごろである。花の下では行楽客の歌声や笑いが絶えない。その有様は日本と全く変らない。この櫻は日本から送られてきた北海道産のオオヤマザクラである。ピンク色の花をつける山桜で、寒さに強く、寿命も比較的長い。これを選んだのは同期生の秋山智英君である。当時林野庁の造林保護課長であった。昭和47年9月政府から「日中正常化を記念して日本の森林を代表する樹種の苗木を贈りたい。どんな樹種がよいか検討してくれ」といわれた。櫻だけでは芸がないので北京の自然条件を考えて、ニホンカラマツも同時にそれぞれ一千本を贈った。30年たった今、櫻は直径20cmにもなり、ニホンカラマツは五階建てビルに匹敵する高さに成長したという。このとき、中国政府からは一対のパンダが贈られた。これが秋山君が日中緑化協力事業にかかわりを持つきっかけとなった。その後林野庁長官になるが、中国からの林業代表訪日団はすべて秋山君が面倒を見ることになる。昭和59年林野庁退職後も海外林業コンサルタンツ協会会長や国際緑化推進センター理事長として日中林業交流事業に携わる。寧夏回族自治区では砂漠防止のために森林復旧の指標林を7年かけて造成する。昭和59年6月長江流域で集中豪雨で大洪水が発生した。いずれその対策の為の協力事業が起きてくるのを予想してその年の10月、長江上流の森林地帯の被害状況を視察した。両国の間で緑化事業推進の議題が上ると、秋山君はその被害の原因を的確に指摘して仕事を進める事になった。そのさいに創設されたのが『日中緑化交流基金』である(事務局長 秋山智英)。秋山君の話を聞いていて感心するのは、常にプラスアルフアを考えることである。今回も植林事業に両国の青少年を『植林ボランティア』に参加するシステムを導入した。日中親善だけでなく、植林の大切さも同時に教えようというわけである。すでに昨年からこの『植林ボランティア』は動いている。

今年もまた私達同期生有志は、4月24日長野県北佐久郡浅科村八幡権現山で碑前祭と観桜会を開く。権現山にある100本の桜は秋山君の配慮で植えられた。もちろん北海道産のニホンヤマザクラもある。なお秋山君は昨年9月30日、北京の人民大会堂で中国政府から『友誼賞』を授与された。 秋山君のご冥福をころからお祈りする。