バラの香にほへども…
並木 徹
「バラ百本いただきにけり恥ずかしいできごとなどはかくして匂う」と歌ったのは歌人鳥海昭子である。この気持はよく分かる。私は誕生日を前にして「敗戦忌生き恥晒して余白かな」と詠んだ。95歳の誕生日には毎日新聞社会部で一緒に仕事をした仲間3人からバラを頂いた。手頃な籠に赤いバラを中心に5本の黄色いバラが囲んでいた。大正・昭和・平成・令和と4代・日にちにすれば3万4675日。このうち20歳までの7300日は軍国少年であった。敗戦で人間がすぐ変わるものではない。しかも復員の時。生徒隊長は「生き恥を晒して国のために尽くせ」諭した。そのガリ版刷りを今でも大切に保管している。
我がつれあいは「バラ」を見て曰く「あなたは他人には親切だから」、「この連中は仕事でしごいた者ばかりだ」、「…」
私が社会部長であったのは昭和51年3月から昭和52年2月までわずか1年である。論説委員の時、同期生の編集局長に「ロッキード事件をやってくれないか」と頼まれて引き受けた。それよりも社会部のデスクを4年努め「鬼軍曹」と言われた。
ところで「バラ」は恐ろしく古い植物である。アメリカで発見された化石からは3500万年から3200万年も以前のものと推定されている。薔薇にまつわる伝説が少なからずある。西洋では「バラの下で」(SUB ROSA)というと「秘密に」という意味になるそうだ。薔薇の花言葉は色々あるが「常に良き友でありますように誓います」にちなんでバラの3人男が10月に千葉県市原市の土太郎村の訪問を計画した。3人男の一人・中島健一郎君が10年ほど前に
1、新しい生き方の追求
2、地産地消
3、エコフレンドリー
4、直接民主主義
を目標にしたコミュニティの目標を掲げ、市原市の10万坪に計画した。現時点で85軒建っている。ここで、土壁の家(地産地消の木、土、砂、藁の家)で歓談しようという。「季節も良く空気も清々しいと思います。コロナ後は田舎暮らしが見直されていますが、ひとつのモデルケースと思います。皆様のご意見を伺いたいです」と中島君が言っている。
日本の書物にバラが現れるのは万葉集(770年)が初めてである 。 2首でている。 「うまら」と「うばら」である。「道の辺(へ)の茨(うまら)の末(うれ)に延(は)ほ豆のからまり君をはかれかゆ行かむ」(巻20-4351)(美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃 可良麻流技美乎 波可礼加由加)=道端のうまらの枝先に豆のつるが絡みつくようにまとわりつかれる若様そんな若さと引き離されたまま私は旅立ってゆかねばならないのか=
「枳(からたち)の棘原(うまら)刈リ除けば倉立てむ尿(くそ)遠くまれ櫛造る刀自」(巻16-3832)(枳の棘原刈除曽気 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自)=からたちの針のある木を刈り退けて倉を立てようと思う。ここへ来て糞をすることにはならない。かなたへ行ってせよ櫛を造るかみさんよ=
95歳というのは節目の年齢と見えて誕生日には女性5人、男性5人から誕生日カードやプレゼントいただいた。感謝のほかはない。後5年は生きようという目標もできた。「有終の美」を目指して書くことにしよう。
「バラの香や秘められた謎我悟る」悠々