三島由紀夫の最後の檄文を読見直す
柳 路夫
11月25日は「憂国忌」・由紀夫の忌。三島由紀夫が昭和45年11月25日東京市ヶ谷の自衛隊東部総監室で割腹自決した日である。その墓は府中の多摩墓地にある。NHKBSプレミアムの「アナザーストーリー」(10月8日午後9時)で「三島由紀夫割腹自殺・世界的文豪に何が!?」の番組を見た。三島由紀夫はその日、毎日新聞の徳岡孝夫記者とNHK報道部の伊達宗克記者を現場に呼ぶ。自分の行動を正しく報道してもらうためであった。当日三島由紀夫が撒いた檄文が『サンデー毎日』には一行も削除されずに載った。この檄文の中に三島由紀夫の自決の真因がある。三島が死に際して自分の気持ちを赤裸々に吐露したと思えるからである。
三島が4年、楯の会の学生が3年間過ごした自衛隊について『憂国の精神を相共にする同士』とし『生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった』とする。だからこそ自衛隊は憲法改正に立ち上がれと決起を促がした。次にその背景を書く。私も同じな感慨を抱く。当時私は毎日新聞論説委員であった。
檄文は曰く「戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた」と書く。現憲法に触れる。「法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた」と、ここに三島由紀夫の志が有る。
「自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた」。自衛隊に決起を促した三島は『自衛隊が目覚める』のを期待した。日本軍隊の健軍の本義が「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないと信じたからである。
三島は昨昭和44年10月21日に起来た新宿騒乱デモが自衛隊の出動なく警察の力で鎮圧されたのを見て自衛隊を国軍とする憲法改正が政治的プログラムから除外されたと認識する。またこの日を堺にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのであるという。私はここで自衛隊が出動しなかったほうが良いと思う、見解の相違というほかない。
三島の檄文は続く。「日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである」。
三島由紀夫は「自衛隊が憲法改正によって健軍の本義に立ち真の国軍となる日のために国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない」と信じて自決したのだと思う。日本人の心の中には『天皇を中とする日本の歴史・文化・伝統を護る』があり、それがあらゆる局面に噴出する。それが憲法の条文にも現れ、あるときは著名人の自決となっても現れる。
『切り抜きの記事も色褪せ三島の忌』亀井幸子