松尾文夫さんを偲ぶ
柳 路夫
共同通信の元ワシントン支局長であった松尾文夫さんが出張先のニューヨークでなくなった(日本時間2月26日未明・享年85歳)。松尾さんの講演を2回聞いた。新聞の訃報には触れていなかったが松尾さんの父親新一さんは陸士35期の陸軍大佐、祖父の松尾伝蔵さんは陸士6期の陸軍大佐である。2・26事件の際、岡田啓介首相の身代わりになって凶弾に倒れた。その83年後のその日にニューヨークのホテルで孫の文夫さんがなくなったのは奇しき因縁というほかない。
松尾さんの著書『銃を持つ民主主義』(小学館・2004年3月1日刊)をアメリカで銃による殺傷事件が起きる度にひもとく。アメリカ合衆国憲法修正条項第2条には「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」とある。そのような考えが何処からくるのか松尾さんの本には明解に書いてある。米国の独立を鼓舞したアルジャーノン・シドニー(1622―1683・イングランドの政治家)は『市民の武装は正統かつ敬虔なもので、これを嫌うのは君主のみである』といっている。アメリカは『規律ある民兵』のゲリラ戦法によって生まれた歴史を持つ。このDNAは簡単には消えない。この本には珠玉のような言葉がたくさんある。例えば松本重治さんの言葉として『学者以上に勉強して自分の意見を持たなければ良い記事が取れない』という趣旨のことが紹介されている。新聞記者の大先輩の言葉として聞くべき戒めである。
昨年12月4日松尾さんの講演を聞いた(同台経済懇話会講演会)。この時は元気であった。松尾さんの話を紹介しながら偲びたいと思う。
韓国では今なお韓国併合の傷跡が残っているという。例えば新幹線の「ひかり」「のぞみ」の名称である。この名前は韓国併合時の朝鮮を走っていた特別急行列車の名前である。昔の嫌なことを思い出すというのである。また北朝鮮との和解を強く望んでいるように感じられた。「日本はもっと温かく韓国を見るべきである」と強調された。植民地の住民の心情は歴史が示すように独立に燃え時にはテロに走り、時には暴徒化するのが常である。明らかに文在寅大統領は北朝鮮との和解に熱心である。その根底にあるのは「日本憎し」であり「日本への恨み」である。
韓国併合は明治43年8月である。 松尾さんは「桂・タフト秘密協定の今日性」を資料で示す。明治38年(1905年)7月ウイリアム・タフト陸軍長官(フィリピン総督・アメリカ大統領)が来日、桂太郎首相兼外相と秘密会談。フィリピン領有を日本が認めるならば米国は日本の韓国での宗主権樹立計画、5年後の韓国併合を承認するという取引をする。イギリスもこれを認めた。この韓国併合が其の後の日本の侵略の道を進ませ、敗北につながったとする。
韓国の「約束反故」を口にするとき、忘れていけないのは桂・タフト秘密協定の存在であると指摘された。
韓国と北朝鮮の憲法には両国の統一が書き込んである。朝鮮戦争で分断されたとはいえ南北統一は両国に悲願である。戦後74年たっても日本の韓国併合35年間の屈辱の歴史・傷痕は忘れがたいのだ。時代の大きな流れは南北統一に向かっているのかもしれない。現在起きている韓国の国際法違反は“さざなみ”かもしれない。そうだとすれば日本にとっては今後難しい対応に迫られてくる。そう思いつつ松尾さんのご冥福を心から祈念する。