歴史が語るヤルタ会談と世界情勢
並木 徹
この正月、陸士の先輩金富与志二さん(45期・陸大57期・中佐)の自分史というべき『竹に木を接ぐ』(非売品・1988年10月15日発行)を読む。戦前ビルマ方面軍参謀・第2師団参謀などを務め、戦後はテレビ、マスコミの役員などして活躍された。『これからも国家、民族の立場で物を考え実践してくれる人が多ければ国は安泰と思う』の言葉が強烈に残った。私が感じた金富さんの言行録を綴ってみたい。
金富さんは心優しい武人であった。昭和18年12月3日、出征する際、夫人の心境を万葉の歌に託す。
『防人に行くは誰が夫と問不人を見るが羨しき物思ひもせず』(巻20-4425)
(佐伎毛利尓 由久波多我世登 刀布登乎 美流我登毛之佐 毛乃母比毛世受)。
専門書を紐解くと、この防人の歌は天平勝宝7年(755年)以前の防人の妻の作であった。『防人に取られてゆくのは誰のご主人かと問うている人を見ると羨ましいなんの心配なそうな顔をして』という意味である(土橋寛著『万葉開眼(下)・NHKブックス』)
戦後、ビルマで一緒であった部下が訪ねてきて昔話に花が咲く。
「ラングーンが危なくなった頃、金富参謀殿は最近の情勢を説明されてお互いにしっかり頑張ろうと励まされた。最後に『散る桜残るも桜散る桜』という俳句を読まれた」と話をする。金富さんはすっかり忘れていた。物を書き残す大切さを語る。私も全く同感である。大切なことはメモに残すべきである。
『ヤルタ会談』について触れている。『今の世界の混乱の基礎を作ったのはヤルタ会談のルーズベルトと言われている。スターリンの言うことを聞いて、ヨーロッパ及びドイツの2分割、朝鮮の2分割のというミスを犯している』という。成るほどだと思う。ヤルタ会談は昭和20年2月4日から11日までソ連のクリミヤ半島の保養地ヤルタで開かれた。ルーズベルト、チャーチル、スターリンの米英ソの3国の首脳が集まって戦争遂行、戦後処理、国際連合の創設などが協議された。南北朝鮮の分割の悲劇はここからはじまる。今、核廃絶を回って北朝鮮と米国会談が行われる始末である。大国のエゴをまざまざと見る思いがする。
さらに次の大統領トルーマンまで筆が伸びる。
『トルーマンは東京裁判という茶番劇をやった。アヘン戦争以来のヨーロッパ諸国のアジア侵略に触れず一番に最後のでた満州事変以降を問題として日本を悪者扱いにし、勝者が敗者をさばいてはばからず、裁判その者は事後立法の上、プレークニー弁護人の「戦争行為の責任は国家で個人ではない。原爆の非人道性。違法行為」発言を抹殺した』。
さらに続ける。「ドイツの裁判と歩調を合わせるため、アウシュッビッツ並の南京事件をでっち上げるなど、変な東京裁判史観を残し、独立国から軍隊をなくして、教育的にも愛国心を起こさせない誘導をした』と指摘する。米国は優秀な日本人が怖かったのである。
戦後74年日本には国家、民族の立場でものを考え実践してゆく人物が少なくなってしまった。個人主義、自由主義がはびこりすぎた。そろそろその愚に気がついても良さそうであろう。