銀座一丁目新聞

追悼録(

鳩の自殺は憤死である

柳 路夫

毎日新聞社会部記者山本祐司君が「ハトの自殺」を記事にしたのは昭和38年12月12日の都内版「赤電話ワイド版」であった。今から55年前の話である。今ネットで「ハトの自殺」の項目で見ると田舎道を40Kか50キロぐらいの速さで車を運転していたらハトがフロントガラスに飛び込んでき死んだとか、3度も自宅の居間のきれいなガラス窓にハトが飛び込んで死んだ話が出ている。“ハトの自殺”は珍しくないようである。

山本君の記事は「自殺は果たして人間だけのものであろうか。思考能力を持たない動物たちは絶望することがないのであろうか―」という書出しである。事の起こりはこうだ。昭和38年の夏のある朝、京成電車の下り青砥行普通電車が新三河駅に入りかかった時、運転席のすぐ隣の正面窓ガラスにハトが飛び込んできた。ガラスの破片が飛び散り二人の若い女性が軽い傷を負った。ハトは首の骨を折って死んだというのである。当時、助役は「すごいなあ、あんな丈夫なガラスが破れるなんて。自殺したのかもしれない」といったという。山本記者は明らかに“ハトの自殺”だと断定する。動物の自殺の例として「怒ったクモが自分の腹をかみきって一生を終る“クモの腹きり”。小鳥がかごのなかを飛び回ったあげく、かごの天井から首だけを突きだして死ぬ“小鳥の首つり”。怪我をしたイノシシが自分の手足にかみついて死に果てる“自死”などをあげる。ところが記事の中で動物心理学の権威・丘英通東京教育大学教授は「動物には思考能力がない。本能で動くのであって自殺というケースは考えられない」ときっぱり否定されている。

どうであろう。本当に動物は自殺しないのであろうか。本能で動くと言うが「ハトに三枝の礼あり」(子ハトは親の恩を感じて下の枝にとまる)の諺がある。旧約聖書の「ノアの箱舟」にはハトを放ったところオリーブの葉をくわえて戻ってきたと伝えられる。賢い動物である。さらに本能で動くとすれば警戒心も敏感で、危険察知能力は優れているはずである。電車の運転席の正面の窓ガラスに飛び込む馬鹿なハトなどいない。心なき人間どもが森林を伐採、空気を汚し、虐待して動物たちの住む環境が悪くなれば怒り心頭となり、本能の赴くまま死を選ぶこともないとは言えまい。世をはかなんで死んだというより憤死して自殺したというべきかもしれない。それこそ本能的自殺と云えよう。

山本君の記事の結びは「晴れた日にはオバケエントツの良く見える高架線の線路わき、ここがあのハトの墓である」となっている。心から冥福を祈る。