追悼録(674)
柳 路夫
「春宵の金色の眉月にモーツァルト夢一刻にまどろみまどろみ」
同台経済懇話会主催の「常任幹事・野地二見君を偲ぶ会」が6月26日に開かれる(3月9日死去・享年92歳)。この日は「偲ぶ会」が終わった後、産経新聞外信部次長矢板明夫さんの講演「習近平体制の中国は何処へ行くのか」を聞く。野地君は生前、中国問題に興味を持ち、15回も中国ツアーを企画している程である。その死が惜しまれてならない。
同期生野地君とは私が平成元年に同台経済懇話会の会員になってからのつきあいで30年ほどになる。毎月例会の講演者を選ぶのだが選んでから講演者の著書を必ず2、3冊は読んでいた。仕事は丁寧であった。雑誌「偕行」の3月号の「短歌教室」に野地君の「降る雪も輝く月も咲く花も一期の名残と目をこらし見つ」がある。死を覚悟していたようにうかがえる。4月号には「春宵の金色の眉月にモーツァルト夢一刻にまどろみまどろみ」の短歌がある。野地君の辞世の歌といっていい。原稿の締め切り日を考えれば2月半ばの作品であろう。何事も用意周到にする彼の性格を考えるベートヴェンが出てきてもおかしくないのだが、何故モーツァルトと一瞬、疑問がよぎった。考えてみれば、いきなり思いつきですごいことをやることをやるモーツァルトがふさわしい気もしないでもない。夢に出てきたその調べは交響曲「ジュピター」だろうか。この交響曲は天地万物の創造神の名がある。他に冠絶した精神力、典雅な情緒、繊細な美、崇高な思想とこれを統括する清純な精神があるといわれている。いち早く同台経済懇談会を設立に尽力し、東京裁判で日本の無罪を論じたインドのパール博士の顕彰碑を京都霊山護国神社と靖国神社の境内に作った野地君に相応しい交響曲ともいえる。死を3週間後に控え、まどろみつつこの歌を作られた野地君の精神は純粋にして高貴である。君を同期生として持ったことは私たちの誇りである。生前の厚誼に深く感謝する。仙台幼年学校出身の野地君に相応しい別れの歌は「山紫に水清き」であろう。
「ああ心地よぞ
青葉に霞む山桜
清き広瀬の川の瀬に
散りくる花を君見ずや」(11番)