銀座一丁目新聞

花ある風景(670)

並木 徹

あじさいの花を愛でる

我が家の庭にあじさいの花が咲き誇っている。その一輪が食卓にも飾ってある。家に花があるのは雰囲気をおだやかにしてよい。庭のあじさいが咲き始めたのは5月のはじめの頃である。下旬に花を数えてみたら25もあった。もうひと株は数えきれなかった。 万葉集にはあじさいを詠んだ歌が2首にあるという。 「あじさいの 八重咲くごとく 八つ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ」(巻20-4448) 「安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都都思努波牟」 庭中に咲くあじさいによせて主人を寿いだ歌である。

松田修著「季節の花」(毎日新聞刊)によると、白楽天が郡守である頃、管内の招賢寺に出かけたことがあった。その時、住職が境内に見知らぬ美しい花が咲いたが名をつけてくれと頼まれた。白楽天は一詩を作って「君に与えて名を紫陽花に作る」を示したという。

「何年植向仙壇上(何れの年にか植えて仙壇の上に向かう)
早晩移栽到梵家(早晩移栽して梵家に到る)
雖在人間人不識(人間に在るといえども人知らず)
与君名作紫陽花」(君に紫陽花となづける)

あじさいを漢字で「紫陽花」と書くがこれは別種らしい。ライラックを指すとある。

歌人鳥海昭子は詠む。『紫陽花はでんでん虫と仲良しだひとり言う子のクレヨンうごく』

紫陽花とでんでん虫の取り合わせがよい。でんでんむしもかたつむりも俗称。学術上の和名は「マイマイ」である。江戸時代、子供たちが「貝殻から早く出てこい、出てこい」と遊んだことからその名がついたという。 永井荷風に「紫陽花」という短編がある。「断腸亭日乗」(上)(岩波文庫)の昭和6年2月12日の項によれば、神楽坂の中河亭で園香と飲む。昨年1月からの知り合いで、この妓のために散財少なくなかったが創作意欲が高まって『紫陽花』『悪夢』などの短編が生まれたとある。「一得あれば一失あるは人生の常なれば致し方なし」と荷風は納得する。

紫陽花は花の色が変わる処から「七変化」と言われ花言葉も『変わりやすい心』であるが日本産の名花の一である。

『紫陽花の花おもくしておのづから傾く見ればやさしかりけり』(松村英一)

紫陽花の好きな友人がいた。本が好きで仕事に熱中して早く死んでしまった。今でいえば過労死であろう。当時そのようなことは問題にならなかった。

「紫陽花や昔偲びて亡き友想う」悠々