銀座一丁目新聞

茶説

日大アメフト部の反則タックル問題を考える

 牧念人 悠々

日大アメフット部による悪質な反則タックル問題はいろいろ考えさせられる。関東学生アメリカンフットボール連盟が日大前監督、前コーチを「除名」処分とした(5月29日)、だがその指揮ぶりには一面理にかなっている。そのカリスマ的な指揮ぶりである。部下から「恐れられる上司」はその指揮が徹底する。日大アメフト部が強い理由である。もっとも「壊せ」が「怪我をさせろ」では邪道である。スポーツマンシップに反する。

疑問に思うのは関学大が日大の回答を不満として警察の手にその判断を任せた点である。前例の少ないスポーツ中の行為の立件に慎重な声が出たのは当然である。すでに警視庁が捜査を始めた。スポーツでの戦いである。問題はあくまでもフィールドの中で解決すべきであると思う。悪質なタックルだとして日大の選手が退場処分を受け、今回は年度末まで出場停止処分を受けた。その悪質なタックルが監督やコーチの指示であったとして二人とも今回処分を受けた。

もともとアメフトは危険な競技である。スポニチ時代、アメリカの大学を東西に分けて4年生選手たちによる「リコージャパンボウル」を主催したことがある。その時、日本の大学チームとの試合の話が出た。アメリカの監督が即座に「日本の選手がけがをするからやめておきましょう」と言ったのを思い出す。

近代オリンピックは1896年(明治29年)アテネ大会から始まった。開会式での選手宣誓では「騎士道精神を重んじて堂々と戦う」と述べている。名誉を重んじ、美しい人のために戦い、個人的な物質的な利益のために戦わないとするスポーツマンシップを表現する。近代オリンピックの復興の祖・クーベルタン男爵は軍人になろうとして陸軍幼年学校に入学したが中退して教育界に転じた。1870年(明治3年)普仏戦争でフランスがドイツに惨敗した時、戦後のフランス青年を救う道は体育を奨励し心身を鍛錬するほかないと考えた。その後スポーツを通じて各国青年が互いに理解を深め国際的な親善を深め国際的な親善を考えるようになり平和運動にまで発展した(河合勇著「オリンピックの歴史」)。元来、スポーツは騎士道的な心身の鍛錬と青年同士の理解と親睦にある。

今回の問題の真相は日大の選手が記者会見(5月22日)で発言した内容が真実に一番近い。

古代オリンピックにはこんな試合もあった。第53回のレスリングの競技であった。この競技もかなり乱暴で残酷である。前回大会の覇者アルカジア人アルラキオンが決勝戦で“頑丈な男”と対戦した。相手がアルラキオンの首を腕で巻き付け胴を両膝で激しく締め付けた。アルラキオンは呼吸がとまりそうになったので苦しまぎれに手を後ろに回して首を絞めている相手の指を折ってしまった。相手も苦痛に耐えかねて意識不明になったがそれと同時にアルラキオンも呼吸が絶えて試合場で死亡した。審判官は生き残った相手の行為が卑怯であったと判定して優勝の冠をアルラキオンの遺体の上に丁重に置いたと伝えられている(前掲河合勇著書)。“頑丈な男”がそのために罪に問われたという記録は残っていない。今回の問題ではしなくも私は亡き軍人であったおやじを思い出した。白を黒という絶対的なおやじであった。上の4人の兄たちは軍人を嫌った。私だけが軍人の道を選んだ。途中で挫折した。だが自分に正直であれというのが教訓であった。