戸隠に遊ぶ「天地の悠々たるを思う」
牧念人 悠々
10数年ぶりに戸隠神社の奥社まで足を運ぶ(5月1日)例年は中社まであった。息子の車で奥まで伸ばした。駐車場で備え付けの杖を借りる。隋神門まで10分、随神門から奥社まで25分と表示されていた。老人の身ではその倍かかるとみてのんびり歩くことにした。参道の両側には小川が流れ小さな白い花をつけた草がいたるところにある。図録を見ると「ハクサンイチゲ」に似ていた。隋神門を過ぎると樹齢300年を超える有名な杉並木が800mにわたってそそり立つ。その数220本を数える。江戸時代家康から御朱印状を賜り幕府から手厚い保護を受けたためらしい。奥社までの階段が些かつらかった。杖が役に立った。祭神は天手力雄命。もともと戸隠山は「天の岩戸」が飛来して出来た言われる。社殿で手を合わせる。近くの椅子で連れ合いが中年の男性と話している。聞けば愛知県岡崎から夫婦で参詣、昨夜は長野駅前で一泊、ここに2時間おれば御利益があるというのであと1時間余ここにいるつもりだという。連れ合いも岡崎生まれの岡崎育ち、私の母の実家も岡崎だというので話がはずんだ。
「新緑や奇遇の出合い奥社かな」悠々
5月3日は午前3時半ごろから雨の音が激しかった。「憲法記念日」。安倍首相は安倍政権中に憲法を改正したい意向である。私も憲法は改正すべきと思っている。「憲法9条」をめぐる対立は激しいものがある。与党多数とはいえその前途は楽観を許さない。
「沛然と若葉の森に矢来の雨」悠々
3日、4日上田に住む孫娘がご主人と5歳の曾孫(長女)を連れて遊びに来る。この曾孫一人っ子故にわがままで自分の気に入らないことがあると泣いてだだをこねる。
「泣き叫び駄々をこねる若緑」悠々
この曾孫いいところもある。私が暇そうにしていると「あひるのジャマイカのおはなし」(ピアリクス・ポスター著・訳・絵・いしいももこ・福音館書店)を讀んでくれとせがむ。
「戸隠のひそかに咲かんゆりの花」悠々
近くのバス停「上野」からバードラインへ上がった4差路に道祖神と観音堂がある。道祖神は村に邪気悪鬼が入らぬように陰陽石置いたといわれる。日本書紀にはフナド(岐)神とあらわしている。フナドは道の別れる地点である。観音堂には観世音菩薩と従者の2対が祭られていた。光背を背にした柔和な菩薩様がおられた。観世音菩薩は衆生の悩みを聞き届けられ衆生を悉く救われるという。庶民にとっては慈悲の仏である。堂の扉には鍵がかけられてあった。
この度の戸隠に持っていったのは吉川幸次郎・三好達治著「新唐詩選」(岩波新書)一冊だけ。唐の詩人陳子昂の「登幽州台」が強く胸に響いた。
「前(先)に古人を見ず
後(のち)に来者を見ず
天地の悠々たるを思うて
独り蒼然として涕下る」
著者は「もと懐古の情は、悠々たる時空の間に私どもの占める寂然たる位置を覚えしめるものである。この詩はただそれを言って他を言わない」という。
戸隠神社の奥社に参詣して神代の時代を思うとき天地の悠々たるを知る。身震いするほどであった。