安全地帯(572)
信濃 太郎
権現山物語
平成30年度の碑前祭開かる
恒例の権現山の碑前祭は「昭和の日」の4月29日に開かれた。開催時期が例年より遅かったがそれでも桜は八重桜が咲き誇っていた。集まったのは来賓として依田英房翁の3代目依田光生さん、長男の健一さんをはじめ同期生10名(うち夫人1名)2世の会員4名、合計16名であった。碑前の躑躅に59期生の旗を2流置き、式を始める。初めに亡くなられた依田英房翁をはじめ同期生、区隊長、中隊長など先輩に黙とうを捧げる。地元で面倒を見てくれている別所末一君(航戦闘・24中隊2区隊)が挨拶する。「ここは59期生の聖地である。昨年開かれた英房翁の50回忌には2世の会の神保明生君と一緒に参列。回向をしました」。来賓として依田光生さんが「私は3代目に当たります。本日は息子を初めて連れてまいりました。いつまでも長く碑前祭を開いていただくようお願いしたい」と50年前の「遥拝所跡」碑の竣工式の古びた写真を披露した。
「陸士校歌」を合唱。歌は高らかに佐久に響く。写真撮影に移る。カメラマンは著名な写真家・霜田昭治君(歩兵・12中隊1区隊)。碑の前に並べられた石の数は予科の中隊の数に合わせて25個(軍官学校の1個中隊を含む)。その周りに思い思いのポーズで歌う姿をカメラは見事にとらえる。終わって近くの「穂の香の湯」で懇談。紅一点は鈴紀靖子さん。鈴紀俊行君(船舶・16中隊4区隊)の夫人である。北海道恵庭に住む野俣明君(船舶・16中隊5区隊)に誘われての参加。梶川和男君も船舶兵である(16中隊5区隊)夫人は地域でボランテア活動をしておられると聞いた。鈴紀君とは予科23中隊1区隊で一緒であった。私が書いた連載中の「権現山物語」をプレゼントした。59期生の地上兵科は8月下旬佐久地区に集結、この地で復員した。西村博君(歩兵・14中隊2区隊)、不破喜久夫君(山砲・12中隊4区隊)らそれぞれに思い出を持つ。復員の際いくらお金が支給されたか、何を持って帰郷したか、皆の話が面白い。敗戦直後も村人の親切さが変わらなかったことを今更のように思い出す。今回みんなの足は2世の会の林宏君(林照夫君・航戦闘・21中隊2区隊)、別所尚文君(別所君長男)らのお世話になった。
一泊者は9名。初めて軽井沢のスポニチ山荘に泊まる。暖房が壊れていて些か寒い思いをする。夕食は外でする予定であったが面倒になり2世の会の神保君と大村政義君(25中隊1区隊長大村助吉殿令息)を煩わしてコンビの食品を適当に頂く。話は健康法に始まる。霜田君の深呼吸座禅法を、野俣君が独自の体操と手を指圧する法をそれぞれ実演する。次は憲法9条と自衛隊の在り方を喧々諤々論争する。酔うほどに歌が出る。佐藤九州男君(航通信・27中隊8区隊)がメモ書きした「春の小川」など童謡を川井孝輔君(工兵・14中隊5区隊)が独特の節回しで歌う。これが実に味がある。私は風呂を沸かす。皆適当に入浴をする。碁・将棋などの娯楽用品がないのが玉に傷だがまあまあ快適だというので来年も利用する運びとなった。