花ある風景(665)
並木 徹
演劇「釈迦内柩唄」を見る
作・水上勉・演出・油井数・希望舞台プロジェクト・俳優座出演の「釈迦内柩唄」を見る(4月13日。東京築地本願寺ブディストホール)。穏亡・花岡鉱山・朝鮮人・憲兵・コスモスの花と綴りながら水上勉が大きな怒りの中に生きる人間の優しさを描いた作品である。今回が489回目の上演。作者との約束は1000回という。舞台は葬祭場でみかける遺体を焼く3つの焼却炉を背景に展開される。場所は秋田県の花岡鉱山が近くの釈迦内。その地で親の代からの穏亡の仕事をする三女・ふじ子(俳優座・有馬理恵)の独白から始まる。ふじ子は死んだ父・弥太郎(加藤頼)を焼くカマの掃除をする。人間の油でねっと固まるらしい。ふじ子の胸にさまざまな家族の思い出がよみがえる。母たね子のこと、「なして、お母はこんなオンボの家さ嫁に来たんだべか…」。足の不自由なたね子は晩婚ながら2男3女に恵まれる。男の二人は兵隊にとられ戦場へ。長女梅子は役者と駆け落ちし次から次と男を変える。次女さくらは街の華やかな商売にあこがれて家を出た。「なして、姉たちは普通の結婚が出来ねえんだべか…」とふじ子は思う。頭の中から「なして、人は焼き場オンボの子と馬鹿にしたような、冷てえ眼で見るんだべか…」の思いが消えない。
昭和20年2月ごろ。吹雪の夜、親子5人が炬燵をかこんで団欒をしているところへ花岡鉱山かから逃げてきた崔東伯が助けを求める。一家は温かく迎える。たね子が木挽き歌を歌えば,崔さんが朝鮮民謡「オンヘヤ」を歌う。麦を脱穀する麦打ちの仕事歌である。崔さんは東京で教師をしていた。反戦活動を理由に花岡鉱山で働かされる。 崔東伯は憲兵平岡(俳優座・吉塚大智)に発見され射殺される。その遺体を焼く際、軍の命令だというのに父親弥太郎は憲兵に「遺体を焼く許可書がなければ焼かない」と頑強に抵抗する。仕方なくたね子が娘たちを手伝わせて焼く。頑なに抵抗する弥太郎の気持ちが痛いほど伝わってくる。その父は山の畑いっぱいに人の灰でコスモスを育てた。「炭鉱住宅の押しつぶされし軒のかげコスモスの花あわあわとあり」(赤松常子)と詠った人がいる。ふじ子はいう。「こいは、お母はんがもしれねぇな…。あっちの白ぇ花っこは朝鮮の崔さんがも知れね…」。ふじ子は思い出す。「人間は、大臣も百姓もねぇ、みんなおんなじ仏様になるあんだ。釈迦内で死んだものらが、それぞれの顔して、今はコスモスになって風に揺れてるんだ…」。ふじ子はこのとき「父の仕事」を継ごうと思ったという。コスモスの花言葉は「乙女の真心」である。