銀座一丁目新聞

茶説

映画「ペンタゴン・ペーパーズ」の意味するもの

 牧念人 悠々

スティーヴン・スビルバーグ監督の映画「ペンタンゴン・ペーパーズ」-最高機密文書―(原題THE POST)を見る(3月30日・府中)。米国最高裁判所ヒューゴ・ブラック判事が「ニューヨーク・タイムズ対米国合衆国」の裁判で下した判決が胸に刺さる。「合衆国建国の父は、憲法修正第1条をもって民主主義に必要不可欠である報道の自由を守った。報道機関は国民に仕えるものであり、政権や政治家に仕えるものではない」という一節である。これこそネット社会に生きる新聞の存在価値である。

ベトナム戦争での米軍の実態を記した機密文書をはじめに明らかにしたのはニューヨーク・タイムズである(1971年6月13日日曜日)。ついで「ワシントン・ポスト」が暴露する。ベトナム戦争は1955年(昭和30年)12月南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)とゴ・ジン・ジェム政府との内戦から始まる。1960年代後半から米軍の介入が本格する。1965年3月には北爆を開始、69年6月米軍の投入した軍隊は55万人に達する。1975年3月サイゴンが陥落、アメリカ兵5万8220人が戦死する。この間、4人の大統領のもと、アメリカ政府は国民をだまし続けてきた。1966年、ベトナム視察から本国に戻った時の国防長官ロバート・マクナマラ(ブルース・グリーンウッド)は記者団の質問に「飛躍的に進展している」と答える。

両社に機密文書を提供したのはシンクタンク「ランド研究所」アナリストのダニエル・エルズバーグ(マシュ・リス)である。機密文書執筆者の一人でもある。政府の秘密工作や国民の知らない戦争の実態に義憤を感じる。同僚のアンソニール・ルッソとともに全44巻7000頁をコピーする。「ポスト」もエルズバーグの同僚であった編集局次長ベン・バグディキアン(ポブ・オデンカーク)が機密文書のコピーを入手する。ニューヨーク・タイムズが記事差し止めの命令(1971年6月15日連邦裁判所に差し止め命令を要求)を受ける中、ワシントン・ポストの社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)は公表するか、見送るかの決断を迫られる。時に54歳。顧問弁護士は「法廷侮辱罪」にもなるなどと反対する。当時計画されていた株式公開にも支障がきたすと会社の存続を第一と考える他の役員から反対意見も出された。グラハムは46歳の時、自殺した夫から「ポスト」を引き継いだ。それまでは専業主婦であった。夫が新聞記事について「歴史書の最初の草稿だ」といった言葉を忘れていなかった。彼女自身が「ニューズウィーク誌」から引き抜いた編集主幹ベン・プラッドリー(トム・ハンクス)は“断固掲載”で機密文書入手するためマクナマラと友人づきあいがあるキャサリンに機密文書をもらうよう話をして断られている。キャサリン自身はマクナマラから「君が信頼する相談相手であり、君の責任を知る者として心配だ。ワシントンで10年働いたが、ニクソンは悪質だ。掲載すれば、汚い手を使って君を破滅させる。君が助かるチャンスはない。大統領の権限を最大限利用し、新聞社を叩き潰す方法を必ず見つける。」と忠告されている。社主は決断した。「GO」サインに輪転機が唸りをあげる。時に1971年6月18日であった。今はITの時代。このような風景は見られない。そればかりではない。新聞離れがひどくなっている。ワシントン・ポストが「暗闇の中では民主主義は死んでしまう」(DEMOCRACY DIES IN DARKNESS)というスローガンを足が懸りに飛躍した。新聞はその言葉を今一度噛みしめる時期に来ている。