銀座一丁目新聞

茶説

五輪の会開く

 牧念人 悠々

同期生の集まり「五輪の会」が開かれた(3月20日・大船の中華料理店『千馬』)。あいにくの雨にもかかわらず出席者23名を数える。北海道から野俣明君、軽井沢から別所末一君が駆け付け、2世の会から神保明生さんと大村政義さんが姿を見せた。今回で9回目の会合、この間、会員7名が死去している。安田新一君が司会。初めに亡くなった同期生に黙とうを捧げる。別所君が謡曲「賀茂」の一節を謡う。鎮魂の謡は寂しく心にしみる。卓話に入る。佐藤九州男君が「ネトゲ廃人」について語る。昨今インターネットのゲームで廃人になる人たちが増加しているらしい。佐藤君が昼間、電車にのったら3、40名の乗客が全員がスマホを持って指をせわしくなく動かしていた。スマホは人間の考える習慣を忘れさせてしまい、瞬間の喜びに満足する状況だと指摘する。ついで精神科医の河部康男君の話。平昌パラ五輪の日本の成績はメダル10個の成績であったが、パラリンッピクの創始者は英国亡命していたドイツの神経外科医ルートヴィツヒ・グットマン博士である。1948年7月28日、車いす患者によるアーチェリー競技会が病院内で開いたのが始まりだという。野俣君は相変わらず元気旺盛。購入したばかりのオートバイ(カナダ・BRP社製ガソリン三輪車=前が2輪=)を乗り回し公園で止めたらぐるりとまわりを囲んだのは子供たちであった。90歳を過ぎても免許書は更新する。ボケ防止は、1 笑え、2 歌え、3 しゃべること。「沈黙は金なり」というが私は声を出したいと強調した。霜田昭治君は朝夕20分間、座禅を組んで腹式深呼吸をしている。大変体に良いという。 恒例の古屋康雄君のハーモニカ演奏にうつる。はじめに私と佐藤君が作った「五輪の会賛歌」(曲・「祖国の護り・大山巌」と曲「大黒様」)をみんなで合唱した。五輪の会賛歌を歌うのは初めてであった。楽しみが一つ増えた。定着するといい。

牧内作詞 3番
「栄耀栄華 外に見て  卒寿なれど 芸達者  謡 浪曲 ハーモニカ  絆は固し 五輪の会」

佐藤君作詞 2番
「年経し健児 今なお  オリンッピクの感動を  共に祝わん 心から  共に迎ええん その日まで」

この後、「陸士校歌」「陸軍航空士官学校校歌」「59期生会歌」を合唱した。この日、思いがけないプレゼントがあった。染色家笹路能也君制作のかわいい子犬をあしらった日本手拭いと野俣君の北海道名産のお菓子であった。

記念写真撮影の後荒木盛雄君と別所君の謡「高砂」で会を締めた。

「野火追ひて駆け行く千馬草千里」荒木盛雄