銀座一丁目新聞

花ある風景(661)

ごんべい

宮古島周遊

プール仲間に沖縄の海でダイビングを楽しむ人が居る。沖縄は昔訪ねた事はあるものの、彼女好みのダイビングには到底手が届かない。せめてあの碧い海を観たいものだとの、魅力は感じていた。最近足腰の衰えを感じ、今のうちに行かないとの思いから、急ぎ案内のツアーに参加した。1月15日羽田集合12時25分。出発13時10分で那覇乗り継ぎ、宮古島空港に着いたのは18時05分であった。家を出てから凡そ8時間近くになる。予定時刻から見て陽の暮れるのを覚悟していたが、何と未だ明るい。石垣島・与那国島は尚西方に在って、もはや台湾に近いが、此処も東京から約1840㎞離れて居り、時差の関係と納得した。とにかく初日は一日掛かりのホテル入りで、何とも遠くにきたことを実感する。だが流石に暖かい。

2日目はまず伊良部大橋に向かう。平成27年に開通した延長3540mで、料金を徴収しない橋としては日本最長。因みに東京湾に架かるアクアラインの「アクアブリッジ」は延長4384mである。昨日宮古島空港着陸直前に伊良部大橋(1)の一部を収めてみた。(2) (3)は大橋を渡るバスの中から撮った碧い海だが、まさしく憧れの色だった。(4)は伊良部島北部の西側に在る「佐和田の浜」。小さい乍ら岩の点在する浜で、めずらしい。

下地島空港は、敷地が半島のように突き出ているので迂回する形になるが、その尖端から場内(5)を遠望したもの。この場所は通称「下地島空港17エンド」と呼ばれ、日本一美しい桟橋(6)が見えて、ビューポイントになって居る。桟橋尖端には進入灯が有る由だが、橋と見紛うばかりに伸びて、紺碧の海に映える眺望は絵になる。「17エンド」とは着陸時の真北を「0」度とし、此処は170度の方向になるので零を略して「17」としたものとか。従って反対側は180度を足して「35エンド」になるわけ。専門用語を一つ覚えた。ともあれ此の飛行場は下地島の大半を占める広さだが、滑走路の南端は陸地内に収まっているので、一周した時に「35エンド」は見えなかった。滑走路延長3000m、機長訓練用空港として、大型機の発着も見られた由だが、目下閉鎖されて爆音も聞えない。宮古島空港は2000mしか無いのに何とも勿体ないと想う。青い空から鮮やかなコバルトブルーの海に、伸びる桟橋めがけて、降下する大型機を脳裏に浮かべたものだった。

「渡り池」は飛行場の西側海岸に在る。入口(7)は如何にも南国風で、進むほどにガジュマルらしき樹(8)が眼に入った。通り池(9)は意外に暗く黒ずんでいるが、海側に進むといくらか青みがかった稍々小さ目の池が在る。二つの池は地下で連結されており、海側の池は更に海に通じる処から「通り池」として国の名勝・天然記念物になって居る。潮の干満が池に影響して「サーモクライン(水温躍層)」と云う、聞き慣れぬ現象があるらしいが、ダイビングスポットになって居るとか。周囲の岩場はカルスト状の、ごつごつした石灰岩の地形(10)で歩き難いが、立派な木道が整備されているので助かった。

下地島の周回を終わって、伊良部島に戻った処に「渡口の浜」 (11) (12)が在った。綺麗な砂浜だが佐和田の浜同様、岩の点在するのが見られて、これは当地方の特徴かと思われる。伊良部島からの戻り口に大橋の展望所が在り、暫くの休憩を兼ねて色々の角度から、長さ日本一の優美な姿(13)(14)を捉えることが出来、まずは期待の一つを満たした。

宮古島に戻り、沖縄風の「海鮮悟空」で昼食を取ったが、「海ぶどう」と云う海草は、初のお目見え。珍しさと新鮮さで中々美味しかったが、後日娘に「知らなかったの」と笑われたのにはがっくり。店の前が「パイナガマビーチ」(15)で、「南の長い浜」を意味する由。4月1日から10月30日迄が遊泳期間らしいが、さぞ賑わうことだろう。今までの浜に比ベて相当な広さが有る。それによく見ると、無数にサンゴ状のものが散在している。何かと思うと、サンゴの死骸が化石状になったものらしい。小粒ながら綺麗なので、箸置き状のものを記念に拾ってきた。間を走るのは、日本最南端の国道390号(16)。側道もあって如何にもリゾート海岸らしい風情がある。

来間(クリマ)大橋に向かう。元来は来間島を支える農道橋であったが、宮古島からの灌漑用水・電気のパイプラインを橋の下に抱えて平成7年、長さ1690mの橋が完成した。橋上(17)から見た海(18)は目が覚めるような青さで、橋の姿 (19)も素晴らしい。ホテルに戻って2日目の観光を終えた。

小さな島だけにかなりの時間が残ったので、市内を散歩する。市役所はホテルの並びすぐ近くに在った。流石沖縄の市役所らしく、正面入り口には狛犬ならぬ、あの赤茶の獅子(20)がでんと構えている。朱印を貰うべく通りがかりの人に訪ねたが、存外神社・寺院についての関心に乏しい。今の世の中を暗示しているようで情けない。宮古神社(21)も意外に近い処に在った。夜食は自由時間に含まれるので、マップに見る繁華街(22)をうろつく。これがどうもピンとこない。今少し華やかさが有ると思ったのが、全くの期待外れ。結局はホテルの食堂で、時間を贅沢に使って一人だけの宴となった。

3日目は池間大橋から始まる。全長1425mの大橋は宮古島の北端に在って、平成4年に池間島と結ばれた。手前の広場で休憩を兼ねての展望だが、ビューポイントらしき処が無い。袂に在る岩蔭を浜に降りた処で、ようやく全貌(23)を捉えることが出来た。ガイド・マップを見ると、西平安名崎からだと更に美しい姿を撮れそうだが、生憎とバスは此処止まり。だが、この小さな島で、国内有数の大橋を一度に三つも見学出来たことで、満足しよう。珍味の、サトウキビジュースを、初めて飲んだのも思い出になった。眼の前で生のサトウキビを圧縮機にかけ、ジュースを絞り出す(24)のが珍しい。

反転して南下、すぐの処で「雪塩」の製塩所見学である。塩と云ってもバカにはならない。曾って地中海で土産にした塩が、普通の塩と全く違って好評だったが、奥入瀬に泊まった時も、ホテル自慢の塩を土産にしたものだ。此処でも土産に選んだが、これならば女房に文句を言われないだろう。

続いて「マングローブ林」を、木道(25)から見学する。これは、熱帯・亜熱帯地方の海岸河口の汽水域(海水と淡水が混ざり合う水域)の泥土に生育する常緑低水高木(26)一群の総称だと云う。書籍・テレビではお馴染みだが現地に観るのは確か初めてだと思う。ベトナムで、観たような気もするが、記憶減退で覚束ない。干上がった泥土に遊ぶ小さな蟹(27)は、木道の足音にも敏感に反応して面白く、可憐でもあった。木道が整備されて楽に見学できたが、天然記念物になって居り、沖縄本島・八重山諸島にも分布している由。

此処を見終えて一気に東南端に向い、先ずは海宝館(28)の見学。個人が6000種以上の大小を集めた貝だけの館である。設立20周年の誇らしげな水槽は別として、館内の撮影は禁止なので、専ら名物館長の案内で一巡した。大小様々で、初めて見る珍しいものが多いのには驚嘆する。これを独力で収集したことは、確かに大変な努力と資金が必要だったろう。館長に納まったオーナーは、収集自慢で笑いを誘うのが上手だったが、結局は自らが経営する店の土産物宣伝でもあったようだ。独酌用に古酒の泡盛を買わされ、駐車場に戻ってみると、運転手の演ずる姿(29)が有った。琉球独特の三味線だが、中々味なものだ。皆に聞かせてくれたらと水を向けたが、乗ってはこない。

最後の観光は、島東南端に在る東平安名崎(ひがしへんなざき)(30)である。途中に大きな球形(31)が眼に入った。「日出る国の民が難事を貫き徳を積み、大成することの願いを宝玉の輝きに込めて、朝日輝く此の東平安名崎に献立した」との趣意が刻んである。又遠くから不思議に思って見た、巨岩の正体は「マムヤの墓」(32)であった。マムヤは絶世の美人が故に、土地の有力者に見初められた。妻子ある身を諭された彼が、彼女を見捨てたのを嘆き、断崖から身を投じたという悲恋物語である。マムヤの母親は再び此の村に美人が生まれぬことを、神に祈願したと云う伝説もある。マムヤの民謡も在ってこの墓は文化財に指定された由。宮古島市教育委員会の案内板が有った。此処の東側(33)は見事な巨岩のある海岸だが、昨日の佐和田の浜・渡口の浜にも可なりの岩が点在していた。全く火山の気配が無いこの島に、何故このような現象が有るのかが不思議でならない。飽かずに眺められる波(34)(35)(36)は、岬の全貌(37)と共に忘れがたい海の絶景になった。改めて巨岩の間に屹立する灯台(38)を遠望して、今回の旅を終える。(39)(40)は、異国情緒を漂わせる宮古島空港の玄関であり、(41)は帰りの機上から夕暮れの雲を捉えたものである。紺碧の色に包まれた宮古島は、明るく清々しかった。