追悼録(659)
柳路夫
藤沢周平を偲ぶ
昨今やたらに藤沢周平の本を読んでいる。アマゾンで遠藤展子著「藤沢周平遺された手帳」まで買い込む始末である。1月26日は週平忌である。平成9年に亡くなった。享年69歳であった。墓は東京八王子霊園にある。山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」(2002年11月ロードショー)も思い出す。まずのその映画の感想から偲びたい。
藤澤周平さんは「時代物で今の人情を書くには江戸時代が一番いいのではないでしょうか」とあるインタビューに答えている。藤澤作品に登場する主人公は時代に翻弄されたり、権力者に無理な仕事をさせられたりしながらも、ひたむきの生きる人たちが多い。
「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人助八」を土台にして、山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」(脚本山田洋次・朝間義隆)は「本当の幸せとは何か」と観客に問うたものであった。
井口清兵衛(真田広之)は庄内地方の小藩海坂藩七万石の下級武士である。妻に先立たれたので、同僚との付き合いを必ずことわって、たそがれ時に、まっすぐに二人の子どもと痴呆症の老婆のもとへ帰る。人呼んで「たそがれ清兵衛」という。食事も作る。洗濯もする。二人の女の子の面倒も見る。鳥篭つくりの内職もする。まことに模範的な父親像である。
それでいて戸田流の小太刀をよくする。それを自慢しないところが奥ゆかしくてよい。昨今は能ある鷹は直ぐ吹聴する。原作では「伝えた技は、我が身を守るときほかは、秘匿して使うな。人に自慢したりすると、後々災厄をまねくことになるぞ」と亡父が戒める(「祝い人助八」)。
離婚してきた幼馴染、朋江(宮澤りえ)の危難を救い、それがもとで腕が立つのが知れた清兵衛は上意打ちの打ち手に選ばれる。相手は12年も浪人しながらやっと海坂藩に仕官できた男であり、ひたすら忠勤を励んできた。それがお家騒動で立場が逆転、切腹を拒否、屋敷に立てこもった。しかも妻を労がいで失い、娘も同じ病でなくしており、清兵衛と似たような境遇であった。その男、一刀流の使い手.余吾善右衛門を演じたのが舞踊家の田中泯であった。柔と剛が入り混じリ、舞いにも似た迫力ある殺陣であった。
サラリーマンの世界もおなじである。派閥争い、学閥、足の引っ張り合い、醜い争いの連続である。信念を持って家庭を大切にしてひたむきに生きる清兵衛にさわやかさ感ぜざるを得ない。その清兵衛も朋江と結ばれたものの3年後に明治維新では賊軍になり、鉄砲玉に当たり死んでしまう。同じ藩の者でも上手く立ち回った者は新政府の高官になった。時代の激流はちっぽけな善意、誠意などを流してしまう。吉凶はあざなえる縄の如く変転する。それでも清兵衛の生き方は一風の清風を与えてくれる。
16年前に見た映画だが清兵衛と善右衛門との戦いはすざまじいものであった。芸の極致を見た。藤沢文学が後押しをした映画ともいえよう。
周平の葬儀は平成9年1月30日、東京信濃町千日会堂で執り行われ、丸谷才一が弔辞を読む。「藤沢周平の文体が出色だったのは貴方の天賦の才と並々ならぬ健さんによるものでしょう。あなたの言葉の使い方は、作中人物である剣豪たちの剣の使い方のように小気味がよくしゃれていた。粋でしかも着実であった。わたしに言はせれば、明治大正昭和三代の時代小説を通じて並ぶ者のない文章の名手は藤沢周平でした」
代表句「残照の寒林そめて消えんとす」