銀座一丁目新聞

茶説

石塚克彦著「ミュージカルへのまわり道」に感動する

 牧念人 悠々

573頁(四六判)の大著‣石塚克彦著「ミュージカルへのまわり道」(農山漁村文化協会刊・11月30日発刊・3500円)は読みごたえする本である。此処に日本が抱えている問題の解決のヒントがあり人間として生きる一つの見本が示されている。演劇界でユニークな存在であった石塚さんを4幕構成でまとめる。どこから読んでもよい。すべて一編の物語である。 地球温暖化が進み世界が有効な手立てを打てない現在、今後日本に毎年のように台風が押し寄せ、集中豪雨に見舞われ、時には地震に襲われる可能性が極めて高い。「ふるさときゃらばん」はこれらの問題を環境問題と含めていち早く取り上げ、警鐘を鳴らした。「地球の命〜森と水」「地震カミナリ火事オヤジ」(400ステージ動員33万人)「稲村の火」などである。「稲村の火」は安政元年(1854年)の南海地震による津波から人を救った醤油醸造業・浜口梧陵の話である。津波が押し寄せた際、稲穂を燃やし村人の危急を救う。さらに津波除け堤防に私財をなげうってふるさとのために尽くす。また堤防が完成しないうちに今度は安政3年の江戸の地震で浜口自身の日本橋の店が壊滅する。浜口は銚子の店だけの利益をつぎ込んで完成させる。この際の銚子の醸造所での働く人たちの躍動感を石塚さんはドンプリ腹掛け法被姿の職人の下駄ップで表現する。堤防が完成したのは安政5年12月、村人の工事参加人者5万6700人、浜口の出したお金は4660両に上ったという。

「冬日和津波堤防下駄ップ」悠々

ミュージカルには稲と米の物語がよく出てくる。「お米は稲の葉っぱがつくる出した太陽のエネルギーの粒粒なのである」という表現はおもしろい。稲の「分結」や光合成が舞台で展開するのはこの劇団ならでのことだ。石塚さんが1時期通っていた武蔵野美術大学での棟方志功の授業風景も興味深い。「私をよーく見てください」と言って棟方先生は教室を歩き回る。そして『これが芸術です!』とのたまう。棟方の授業はそんものばかりであった。版画家・川上澄生の詩が好きだったという。

「かぜとなりたや はつなつの かぜとなりたや かのひとの まへにはだかり かのひとの うしろよりふく はつなつの はつなつの かぜと なりたや」こういう先生に石塚さんは教わった。本には珠玉のような話がいっぱいおさめれている。

「棚田学会」は石塚さんが作ったといっても過言ではない。福岡県星野村で日本の原風景・棚田と出会い、その魅力にひかれる。「ふるきゃら」応援団員の元総理・羽田孜さんから話が農水省につながれ、話が具体化する。自治体の長による「棚田サミット」の開催(1995年)となり真田写真コンテストまで発展した。その実行力はたいしたものである。最後に石塚さんの本の出版パーティの話でまとめる。

『演出家石塚克彦さんの遺稿集「ミュージカルへのまわり道」と3回忌を兼ねた出版パーティが11月26日東京半蔵門の「日本カメラ財団」で開かれた。集まったのは応援団、元・現団員達100余名。先ず亡くなった石塚さんと田中一則さんの3回忌法要が聞修院住職を導師として行われた。ひらつか順子さんが出来上がった573頁の大書となった本の説明をする。出版費用も苦労されたようだ。帯封に農民作家山下惣一さんが「ふるさときゃらばんが全国を駆け巡った居たころが懐かしい。あのころは私もわく農山漁村も今よりはましだった。今こそ新しいふるさときゃらばんが必要だ」と書いている。 壇上で歌う団員たちのミュージカルの挿入歌を聞きながら私もそう思った』(11月27日「銀座展望台」より)。