銀座一丁目新聞

安全地帯(555)

信濃 太郎

依田英房翁の50回忌法要

依田英房翁が亡くなって今年は50回忌(昭和43年9月15日死去・享年88歳)であった。9月15日、長野県東御市御牧原の依田光生さん(夫人律子さん)宅で50回忌の法要が行われた。同期生の別所末一君と2世会の世話人・神保光生君が参加した。

神保君の話によれば、軽井沢追分の別所邸から車で45分、小諸の街並みを通り、カーナビがなければゆけない山道の街道をひたすら登り、山上の明るいのどかな平地に依田家は平和に静かにたたずむ。上空は航空ルートで民間航空機が飛んでいる。神保君はJAL現役機長時代、何も知らずにこの依田邸の上空を何十年も定期便旅客機で飛んでいたという。機縁というほかない。

二人は仏壇に手を合わせ焼香する。同期生としては初めてのことであった。別所君と神保君は良いことをしてくれた。

依田翁は明治13年9月22日生まれ。上田中学から早稲田大学政経科に進む。明治35年早稲田を卒業、日露戦争(明治37年2月明治38年9月)に近衛騎兵として出征、砲弾を受け傷病軍人になる。大正5年御牧原信用組合を設立、組合長になる。後南御牧村農業会会長となる。大正8年3月、尾崎行雄と大戦後の欧州を視察する、尾崎61歳、依田翁39歳であった。大正12年東京早稲田に米屋を開業、昭和11年2月から昭和15年1月と昭和18年12月から昭和22年3月まで2回南御牧村村長を務めた。

59期生が昭和20年6月6日、佐久地区へ長期演習の名目で疎開した際は南御牧村の村長であった。南御牧国民学校に駐留した15中隊と16中隊の歩兵科の士官候補生を前に深夜にかかわらず依田村長が「今晩此処に南御牧村郷土防衛隊長たる村長は陸軍士官生徒諸君を迎ふ。村民一同心から歓迎し、諸君の健闘を期待する」と述べられたことは先に紹介した。(写真は焼香する別所末伊一君。右下は依田翁の肖像画)。