銀座一丁目新聞

茶説

お地蔵さん 何考えているの

 牧念人 悠々

友人の霜田昭治君が恒例の「偕行社文化祭」(11月2日から5日まで)に写真を出品したというので見に行った。「写真の部」には12人の会員の作品が展示されていた。霜田君の写真には「おじぞうさん なにかんがえているの」というタイトルがついていた(写真参照)。

お地蔵さんは大慈悲の菩薩。我々庶民の苦しみを取り除いていてくれるというので全国各地に「身替わり地蔵」の昔話が伝えられている。彼岸花に包まれたこのお地蔵さん(大和市・常泉寺)はまことに柔和なお顔である。左手を頭にかざして何かを考えているように見える。この殺伐とした世相に出番が多そうだなと思案顔なのかもしれない…

ふと、「ハムレット第3幕第1場を思い出す。「TO BE, OR NOT TO BE, THAT IS THE QUESTION.」(このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ=小田島雄志訳)。一般的には「生か、死か」とも訳される。思案顔のこのお地蔵さんはちゃんと答えを出してくれるのかな。北朝鮮と米国の核・ミサイル戦争が始まるのか、始らないのか、お地蔵さんを拝めば答えを出してくれる??

お地蔵さんを包む彼岸花の花言葉は「再会」である。「あかあかと彼岸花咲く畦道でこんど合う日の約束ありき」(鳥海昭子)とあれば話し合いで解決という卦が出てくる。もっとも最近行われた日米首脳会議は「断乎たる圧力」であった。彼岸花の別名は曼珠沙華である。「人気なき畦にむれさく曼珠沙華毒気炎の如く立つべし」(木村流二郎)とすれば北朝鮮は国際世論に背を向けて核開発に狂奔するであろう。その前途は険しい。思わずお地蔵さんの顔をジート見る。

「彼岸花戦後語れり地蔵さん」悠々

写真を見終わって偕行社の喫茶室に入ると、三浦純雄君(陸軍経理学校出身)に会う。三浦君とは一時期「偕行」花だよりの原稿の校閲グループで一緒であった。聞けば、父親は陸士19期の三浦敏事中将(みうらとしわざ)という。同期には今村均大将や本間雅晴中将がいる。三浦中将は昭和14年予備役になり満州国にできた赤十字社の理事長で終戦を迎えるが、戦後、不幸にも中国での太原作戦に参加するなどの軍歴故に中国で戦犯として処刑された。6人の子供を抱えた母親の戦後の生活は大変であったと想像する。

「地蔵さん苦労偲ぶ秋日和」悠々

父親が奉天特務機関長になった時(昭和11年3月7日より昭和12年8月13日)1年半ほど奉天1中に在学したという。この頃、私はハルピンにいた。彼は戦後、昭和29年、海上自衛隊補給処に入隊、23年間在職、Ⅰ佐で退職する。戦後、勉強した英会話が海上自衛隊で大いに役立ったという。

「文化祭昔話に花が咲く」悠々