銀座一丁目新聞

追悼録(650)

柳路夫

石田波郷の俳句に思う

俳人石田波郷の墓は調布市の深大寺にある(昭和44年11月21日死去・享年56歳)。辞世の句「今生は病む生なりき鳥頭(とりかぶと)」

波郷の代表句をあげるなら私は「朝顔の紺の彼方の月日かな」を選ぶ。朝顔の美しさを「彼方の月日かな」とする表現は凡人の出来ることではない。而も句が大きい。新聞記者は事実・現実・現場を見て記事を書く。「路傍には朝顔が美しく咲いていた」と書く。「朝顔の紺はミレーの花の色」と書けば上出来だ。私には散文を書けても俳句は難しい。理屈は出てきても音が出てこないのだ。もともと俳句を勉強したのは新聞文章を美しく短くする手本であった。そうデスクから教えられた。俳句の本を読んでいても俳句を作り始めたのは70歳過ぎてからである。

ちなみに万葉集には朝顔を詠んだ句は5首ある。この朝顔が何にあたるか古来いろいろ言われてきたが今日では「ききょう説」が定説になっている。

「朝貌は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさりけれ」(巻10-2104)

手元に波郷著「江東歳時記・清瀬村(抄)石田波郷随想集」《2000年10月10日第1刷発行》がある。江東区越中島に勤務していた頃、時折お参りした深川富岡八幡宮の句がある。

「ほのと白し破魔矢作りの巫女の手は」

正月初詣用の破魔矢作りに二人の巫女が専念しているのを詠んだもの。八幡宮の破摩矢つくりには因縁がある。寛永4年(1851年)というから今から166年前の話である。長盛法印が大切に持っていた弘法大師がつくられた八幡大菩薩像が夢の中のお告げで「武蔵野国に永代島というところがある。私が宮居したいと思うところに白羽の矢が立っておろう」という事であった。尊像を持って探し求めたところ葦萩の間に一小祠に白羽の矢が一本おさめられてあった。此処が社地となり,開運白羽の矢はこの由来で始まったという。全国各地の八幡様が正月に破魔矢を売り出す由来である。深川八幡宮の矢は鎌倉大船の産。これにお札とお守りをつけ、さらに金銀の小鈴をつける。三が日で9割が売れるという。

そういえば寺井谷子さんの句に「鎌倉の弓矢八幡春の風」があった。

波郷の代表作。「秋の暮業火となりてきびは燃ゆ」