銀座一丁目新聞

茶説

電通の長時間労働違反判決と「鬼の10則」

 牧念人 悠々

東京簡裁は電通の違法残業事件で労働基準法違反罪として求刑通り50万円の罰金刑を判決した(10月6日)。罰金が重いのか軽いのか論議は別にして電通が長時間労働で罪に問われた意義は大きい。経緯を簡単に記すと、罪を問われたのは本社の部長3人。電通には法定労働時間外の労働時間は1カ月間で50時間以内とすることなどを定めた労使協定がある。一日8時間労働とすれば6日と2時間余分に働かせるわけだ。それを2015年10~12月、新入社員の高橋まつりさん(当時24歳・15年12月に過労自殺)ら社員4人に、協定内容を1カ月間で3時間30分~19時間23分上回って違法に働かせたとして今年の7月に起訴された。9月22日の初公判では、山本敏博社長が起訴内容を認め、高橋さんの遺族に謝罪した。

世界的な規模で事業を展開する電通で長時間労働を余儀なくされる事態が起きるのは当然である。新聞社でも大事件が起きたら記者たちは「家庭を顧みず寝食を忘れて」働く。結果的には長時間労働になる。そこは上司が出勤せずとも自宅で仕事すなどフリータイム設けるなど上手く労働管理をやるほかない。私が残念に思うのは事件に絡んで電通は今年から社員の行動規範としてきた「鬼の十則」を社員手帳から削除したことである。この「鬼の10則」は仕事をやる心構えを書いたもので別に長時間労働を強制するものではない。

「仕事」といはいかなるものかという哲学上の問題であるかもしれない。サラリーマンで言えば与えられた仕事は「完遂」するのが責任を果たしたことになる。サラリーマンにとって責任を果たすのは極めて大切なことである。政府がいくら「働き方改革」と言っても責任を忘れた働きは意味がない。「鬼の10則」は別に難しいことを言っているわけではない。朱子の「偶成」を仕事に置き換えてわかりやく現代文で箇条書きにしたものに過ぎない。

「少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草の夢
階前の梧葉已に秋声」

この「偶成」を仕事に置き換えると「仕事をしなさい。ぼっやとしていたらたちまち定年が来ますよ」ということである。

「鬼の10則」
1、 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2、 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3、 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4、 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5、 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは・・・。
6、 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7、 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8、 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9、 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10、 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

この10則のどこが悪いのか教えてほしい。

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