銀座一丁目新聞

花ある風景(646)

川井孝輔

長良川の鵜飼

何回となく眼にした長良川の鵜飼は、常にテレビの上だったので、一度はぜひこの眼で確かめたいと、念願していた。祇園祭の巡行を見終えたツアーは、高速を利用して意外に早く岐阜市に到着した。曾って高山と郡上八幡を訪ねたことはあったが、県都の岐阜市は初めての事である。それにしても、鵜飼が岐阜市のど真ん中で開催されるとは、迂闊にも知らなかった。

バスを降りたのは岐阜公園。金華山(標高329m)の麓にある駐車場だが、長良川沿いに在って市役所が2km足らずとは、まさに中心部だ。見上げると山頂に岐阜城(1)が見える。別名、稲葉山城・金華山城・井口城とも呼ばれるが、斉藤道三と織田信長ゆかりの城としてあまりにも有名だ。鵜飼の観光船はすぐ近く、長良橋際の専用乗船場から発着するらしい。広場に古風な灯籠と思われる木製の塔が目立つが、その前に長良川艶歌の石碑(2)が鎮座していた。「ザ・ベストテン」として、12年間一位を保持したことを記念したものとか。とんと聞いた覚えは無いが、五木ひろしが歌った模様。待合所で「長良川鵜飼文化」の案内板(3)を読む。長良川鵜飼文化とは、長良川鵜飼に関連する様々な文化の総称で、その多くが文化財に指定されています。又日本遺産に認定されている「信長公のおもてなし」を構成する重要な要素にも位置づけられています。とあり、長良川の鵜飼漁の技術・鵜飼用具・鵜匠家に伝承する鮎鮓製造技術等々の説明が述べられてある。「信長公のおもてなし」(4)とは、岐阜城を制して「天下布武」を唱え、天下統一の拠点とした信長が、1568年に武田信玄の使者である秋山伯耆守を鵜飼観覧に招待した。その上、獲れた鮎を自ら確認して甲府に届けさせもした由。鵜飼観覧や船上で行われる舟遊びなど、信長による「おもてなし」が現在の岐阜市観光の骨格をなしており、450年を経た現在に受け継がれたということらしい。

さて本番の鵜飼見物は、日が暮れてからになる。客を乗せた船は、定位置に並んで待つようだが、その間一杯やれるのがミソか(5)。間を持たせぬように綺麗どこが、三味線で愛嬌を振り撒いて呉れた(6)のは良かった。すっかり夜の帳が降りると、上流から篝火を焚いた船が下って来る。一斉にカメラを向けた(7)のだが、通過するのに時間はかからない。眼を凝らしたのだが距離があって、鵜の姿を確とは捉えられない。写真を見ても肝心の鵜の動きが入っていない。篝火を写しただけの結果(8)に終わってしまった。観覧方法に、鵜飼船と並走して観る「狩り下り」と、停泊したまま観る「付け見せ」の違いの有ることを後で知る事になる。カメラと腕のせいもあるかも知れないが、テレビ観覧の方に軍配を上げざるを得なかった。残念!!