追悼録(644)
友人佐藤茂雄君を偲ぶ
友人の弁護士・佐藤茂雄君が亡くなった(7月23日)5月15日東京で開かれた最後の同期生全国大会で同じテーブルに座り懇談したばかりであった。その時は元気に見えた。予科は同じ23中隊であったが区隊が違ったのであまり話す機会がなかった。陸士時代の友人達との懇談会の席上、佐藤成雄君が82歳の今なお自家用飛行機「ボナンザ・ビーチクラフト」機を同好の士6人と保有し全国を飛び回っている話にはびっくりした。少年時代から飛行機乗りをめざし、幼年学校、陸士予科を経て航空士官学校に進み、操縦訓練に励んだ。敗戦でその希望も挫折したものの子供の頃の夢を戦後、実現させた。趣味といいながら年間の経費は相当掛かるという(燃料費など金額をあげて説明した)。話をする佐藤君は生き生きとしていた。
また、同期生たちの東北地方バスツア―でたまたま同室になった際、同じく父親を軍人に持つのをはじめて知って話が弾んだ。司法試験の面接の話が面白かった。出された質問が少し難解だったので「そんないじわるな質問をしないで何か分かるようなヒントを与えてください」といったので試験官たちが爆笑したという。
佐藤君の死ぬ前の肉声が偶然にも東海テレビの番組に残っている。この番組は東海テレビが今年の8月15日、終戦記念番組の企画として同期生不破喜久夫君(一宮在住)を中心として陸士59期生の最期の同期生大会(5月15日)を取り上げたもの。その中に二世の会の神保明生君(70)が佐藤君の自宅を訪ねインタービューするシーンがある。飛行機の模型がたくさん並べられた部屋で「戦争なんかっやるものではない」と言い、教育の仕方でどのような方向にもゆく恐ろしさを語る佐藤君の姿が写っている。
彼に相応しい軍歌は「航空百日祭」(歌長峰勝彦・曲家弓正矢いずれも陸士55期)においてない。
「望めば遥か縹渺の
七洋すべて気と呑みて
悠々寄する雲海の
ああ八紘に天翔ける
男児の誇りの高きかな」
(市ヶ谷 一郎)