銀座一丁目新聞

花ある風景(640)

川井孝輔

日向薬師

先月号では、毎日新聞を読んでの「大山詣で」を記した。尤も、不甲斐ないことに「ギブアップ」の文言を加える破目になったのだが、当時産経新聞で、同じ伊勢原市内に在る「日向薬師」の解説をも読んで居た。初めて聞く名前だったが、なかなか由緒が有るとの事なので、其の参詣も予定に組んでいた。「ギブアップ」という思わぬ展開で、それどころでは無くなって、漸くこま参道の商店街に辿りついた時、生ビールの看板が眼に入った。早速にのどの渇きを癒したのだが、何とその美味なる事‼。まさに天恵の甘露水‼。勿論つまみは大山豆腐で、暫くはその余韻に浸ったのだった。お陰様で生き返ることが出来た。ならば予定通りにお薬師様の参拝をも済ませ、悔いを残すまいと、考えを改めた次第だった。

稍々長くなるが、暫く産経の記事を借りる。平安時代から霊験あらたかな薬師信仰の霊山として知られ、「日本三大薬師」の一つとも言われて親しまれている伊勢原市の「日向薬師・宝城坊」。このたび270年振りの大改修が終わり、江戸時代中期の姿が現代によみがえった。荘厳な雰囲気が漂うその姿を一目見ようと参拝を兼ねて訪れた。かっては修行僧や山伏の修行拠点として名を馳せ、13坊を有した大寺院の日向薬師は、霊亀2年(716)行基によって創建されたと伝わる。その後、薬師如来の霊場として信仰され、鎌倉時代には病気の平癒を願って、源頼朝や夫人の政子が参拝したと言う。明治時代に入ると神仏分離の波が押し寄せ、多くの坊が消滅。奇跡的に宝城坊のみが残った。宝城坊本堂は、江戸時代前期の万治3年(1660)に建立。寛保3年(1743)から(1745)にかけて解体を伴う修理が行われたが、それ以降は屋根のふき替えが有ったものの、大規模修理は無かった。然しその後の虫害や、建物のゆがみが目立つことから、平成22年から全解体による改修を開始。約6年の歳月をかけた改修が終わり、昨年11月に落慶式が開かれた。との案内である。

この記事を読んだ以上は、誰しもが是非にと思うのではなかろうか。特に眼を引くのは、国内最大級と言われる本堂の「かやぶき屋根」のくだりだ。屋根の面積は約1000㎡で、かやの重量は凡そ50t。御殿場市のかや場で、約3年をかけて計画的にそろえたと云うから素晴らしい。総工費も8億7000万と言われ、正に平成の大改修である。

伊勢原市内の路線バス「日向薬師バス停」で降りる。だが写真【1】に見られるように、それと云った案内標識は見えない。遠く山手の方に、それらしき石階段が見えるだけであった。兎に角足を向けてみると、どうやらその階段からが参道らしい。大山に比べると、宣伝している様子は皆無である。人の姿もなく森閑とした雰囲気の中を、独り参道をゆっくり登る。階段には大山でも苦労させられたが此処でも同様だ。士気を鼓舞して杖を固く握る。階段数を数える元気もなく、黙々として脚を揚げる繰り返しになった。而も漸く階段を登りきると又別の階段が有って、うんざりしたものだ。漸く山門が見えた。鮮やかな朱塗りの仁王像が両側に在って、睨みを効かせている【2】。尚、石の階段は続く。最終階段を登り切った処で振り返ると【4】可成りの高さ迄来たことが分かる。だが、境内に足を踏み入れると、正に圧巻の「宝城坊・本堂」【3】が眼に飛び込んで来た。解説通りの屋根が素晴らしく、圧倒される思いだ。この地区での頂上に近いのか、本堂の背景には夕闇があった。参詣人が居るにはいたが、三組程の参詣者は終始変わらずで、大山の賑わいとは比べようもない。時間のせいもあるが、森に囲まれた雰囲気は、孤高を楽しませる風情があり、森閑として閉ざされた別世界の様相を、漂わして居る。

宝物殿には、最古と言われる所謂「鉈彫り」(鉈で彫ったものではなく、仏像面にノミ痕を残して仕上げたもの)の本尊「薬師三尊像(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)」、並びに12神将像が安置されて在る由で、仏像ファンにとっては垂涎のものらしい。だが限定日にしか開扉されないとある。帰宅して「日本仏像史」を開くと、「鉈彫り」についての解説は載って居たが、残念乍ら仏像の写真はない。御朱印を戴いて来ただけである。【5】は暦応3年(1340)に鋳造された、国の指定重要文化財の銅鐘。四隅三本あての、計12本の柱で支えられているが、12本の柱は刻を守る、12神将を表すものだとの事。脇の巨木は樹齢800年と推定される「幡かけの杉」が屹立していた。大江公資の妻相模が詠じたと言う、
「さして来し 日向の山を頼む身は 目も明らかに 見えざらめやは」
の石碑【6】が立派だった。病気平癒、特に眼病に霊験があるらしい。

序で乍ら調べて見ると、この「日向薬師」は昔霊山寺と呼ばれ、薬師三尊を本尊とする 仏教寺院で、現在は高野山真言宗に属する由。かってあった13坊の一つ宝城坊だけが今に残り、寺号になって居る。柴折薬師(高知県大豊町)・米山薬師(新潟県上越市)と共に、「日本三大薬師」に数えられ、峰の薬師(相模原市)・高尾山薬王院・新井薬師と共に「武相四大薬師」として信仰を集めて居ると言う。薬師と云えば、奈良の薬師寺を訪ねたことを思い出す。丁度東塔の解体前だったが、2012 ~20年にかけての大修理中の筈である。信心は薄くとも多少の関心は有るのだが、仏教も奥深くてわからぬことが多い。専ら観光として楽しんで居るだけだが、初めてこの日向薬師の地に立てた事で満足している。