渡部昇一著「日本人の道徳心」を読む
牧念人 悠々
渡部昇一著「日本人の道徳心」(KKベストセラーズ刊・2017年6月20日第一刷発行)を読む。今年の4月17日に渡部さんが亡くなっているからいわば、遺言といってよい(享年86歳)。「電車やバスに老人が乗ってきたら席を譲る」「困っている人がいれば手助けする」。これは当たり前のことである。現代社会ではこれが当たり前でなくなりつつある。この現象は戦後すべて子供に修身を教えなかった為であると著者は指摘する。修身は「理屈を言わずに教えよ」と説く。
15の徳目を上げる。私が戦前教わったことばかりである。
- よく学びよく遊べ。私は小学4年生ごろまでは「よく遊びよく遊び」であった。5年生のころからなぜか勉強が面白くなった。確か、先生に「児島高徳」の桜の幹に十字の詩。『天勾践を空しうする莫れ。時范蠡無きにしも非ず』どういう意味か問われて私が正解して褒められたのがきっかけであった。
- 時刻を守れ。私は原則的に約束の30分前に着くことにしている。これは社会生活の上でいちばん基本的なことである。
- 怠けるな。これは難しい。元来、横着者である。だから今でもその日に為すべき「日課表」を作成。なすべきことをこなすようにしている。
- 友達は助け合え。中学時代は寄宿舎。その後、軍の学校で学び団体生活を送った。而も死を覚悟して訓練を受けたのだから絆は固い。
- 喧嘩をするな。私はよく喧嘩をした。“瞬間湯沸かし"と言われた。人にはそう強くはいえない。
- 元気よくあれ。子供のころからこれまで大病をしたことがない。同期生の医者は除いて医者が大嫌いである。原則的に薬は飲まないことにしている。
- 食べ物には気をつけよ。好き嫌いはない。何でも食べる。あまり食べ物に気を付けたことがない。
- 行儀よくせよ。昔から私は行儀が悪かった。食事はみんなより早くたべる。気が付いたらみんなはまだ半分も食べていないということがよくある。歩くときだけは背筋を伸ばし、前を見る。行儀がよいのはそれのみである。スマホを見ながら歩くのは「行儀が悪い」といえる。駅ホームでは気を付けよ。
- 始末をよくせよ。始末は悪い方である。日課表にも「整理」と書きて戒めている。整理整頓は頭の中を整理することだそうだ。とすれば私の頭はいつも整理されていないということになる。困ったことだ。大いに「整理」に励もう。
- 物を粗末に扱うな。これは心がけている。
- 親の恩両親には孝行した。もっと父親に聞いておきたことがいっぱいある。
- 親を大切にせよ。
- 親の言いつけを守れ。親父の言いつけは、イ、女性を大切にせよ。ロ、人のために働け。ハ、人さまに迷惑をかけるなの三つであった。
- 兄弟仲良くせよ。父親は軍人で転勤が多かった。7人兄弟。すぐ上の兄は中学時代まで同じ寄宿舎であったので仲が良かったがあとは年も離れ一緒に住んだことも短かったので仲が良いとは言えない。今はすぐ下の弟の二人だけとなってしまった。
- 家庭。現役時代は寝食を忘れ会社のために働いた。子供の養育はすべて女房任せであった。「カカア天下」が家庭円満の秘訣と思っている。長男は私を反面教師として家庭第一の男になった。
このほか、祖先たちの視点で物事を捉え考えようとするのが「縦の民主主義」「今生きている人たちの意見を取り入れるのが「横の民主義」というのは面白い。 明治天皇御製「目に見えぬ神に向かいて恥じざるは人の心のまことなりけり」。恥を知り心を磨くことが何よりも大切であると説く。人間の中心には心があり善行をしながら心を磨いていく。人間の行動のすべては心の動きに現れである。その意味で心を磨くことを忘れてはなるまいと思う。 吉田松陰を「大和魂」を持って生きたと著者は表現する。辞世の句を紹介する。「身はたとひ武蔵野の野辺に朽ちぬとも留めかまし大和魂」
吉田松陰が亡くなって147年後の平成18年(2006年)10月『平成留魂録』―陸軍士官学校予科23中隊1区隊史(23中隊1区隊有志編)が出版された。その前文に曰く「人生80年、戦後60年が過ぎた。私たちは何か書き残したくなった。敗戦で私たちの生き方は激変する。進んで軍の学校を選んだ私たちの戦後は苦難の道であった、敗戦の混乱の中、復員、大学進学、就職へと日本再建のために懸命な努力をして生き抜いた」。吉田松陰の志はこうして語り継がれてゆく。 この著書は渡部さんが出演したDHCテレビジョンの番組「平成の修身」(2016年1月から2017年6月)をまとめたもの。知人の同社社長・濱田麻紀子さんから送っていただいた。一時期、濱田さんも交えて月に一回勉強会を開いていたことがあった。その縁を忘れず私を思い出してくれたようだ。感謝のほかない。この秋、みんなに呼び掛けて旧交を温めようと思う。