銀座一丁目新聞

茶説

憲法改正を考える

 牧念人 悠々

今の憲法が現状とそぐわないのはだれしも認めるところである。憲法はすみやかに改正すべき時に来ている。安倍晋三首相の憲法改正の発言は関係がない。柔軟にして応用のきく日本人は「絶妙な憲法解釈」で乗り切ってきた。だが次第に世界の情勢はそれを許さなくなってきた。戦後72年続いた平和があたかも「憲法9条」が守ってきたかのように錯覚している国民が少なくない。

憲法9条の条文は次のような文言だ。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

改正に当たっては1項の精神は生かすべきだと考える。だが「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と言いながら自衛隊の軍事力は世界第7位である。例えば通常型潜水艦22隻を保有、対潜水艦哨戒機100機以上保有、ヘリ 空母「ひゆうが」「いせ」を運用、イージス艦5隻、戦闘機F15、護衛艦などをそれぞれ保有する。日本では「自衛隊」と言っても通用するが世界では通用しない。「自衛上必要最小限の自衛力は持つ」はごまかしである。

次は「国の交戦権は、これを認めない」である。交戦権とはなにか。この文言は昭和21年2月3日GHQ最高司令官マッカサーが民生局に指示した3項目の中にある。その意図は日本の国家主権の制限または実質的否認にある。その中に「日本が陸海空軍を維持する権能は、将来ともに許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない」とある。この項目が日本の主権を制限するものだということを知るべきである。この「交戦権」を「主権制限条項」として問題を提起したのは評論家江藤淳である。著書「1946年憲法」―その拘束その他・文春文庫・1995年1月第1刷)その中で憲法9条の2項に「国の交戦権は。これを認めない」があるにもかかわらず、これと矛盾する条約を締結する。サンフランシスコ対日平和条約の第5条で「日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を保有すること及び日本国が集団安全保障取極を自発的に締結することができる」を明記。同じ日に締結された日米安全保障条約は米軍の日本駐留を認めるのと同時に日本が「自国防衛のために残増的に自ら責任を負うことを期待する」旨を公けにした。つまり「自衛権」が認められ、「戦力」保有も認められた。それにもかかわらず「自衛権の行使」(「交戦権は認められない」という憲法の規定)は認められていないということである。自衛隊が戦うということは一般人と同じく「正当防衛」に限るということになる。「今後、困難な世界情勢の中で果たして日本は平和を維持して行けるのだろうか」と江藤さんは危惧していた。

最近「偕行社」理事長・元統幕議長・冨沢暉さんから頂いた憲法に関する論文によれば「交戦権」を「交戦国としての法的地位の権利」と訳するのが正しいらしいとして、推測では「交戦資格」と間違えたのではないかと次のように説明する。交戦資格だとすれば国軍のみならず、一定の条件を具備する民兵・義勇兵団にも適用されるもの(「陸戦の法規慣例に関する規則=1910年効力発生」であるから占領下にしても憲法を持とうという国家に「これを認めない」ということはありえないとする。

個別自衛権により戦闘する国または部隊はすべて交戦資格を持つのに憲法学者たちはこの「交戦権・交戦資格」の問題についてなぜか口をつぐんでいる。少なくと「個別自衛権はある」という学者は「交戦権(交戦資格)を認めないというこの文言は憲法98条2項(条約・国際法規の順守の項目)に違反することになるので憲法から排除せよ」と率先して要求すべきではないか主張する。いずれにせよ「交戦権は、これを認めない」の文言は憲法改正で削除すべきである。

冨沢さんはこのほか憲法改正についての長年の願いとして1、集団安全保障(PKO・有志連合を含む)における武力行使を認める、2、「自衛隊」という名称だけは「国軍」または「国防軍」に変えてほしいと書いている。私も同感である。

「交戦権」について私はマッカーサーノートの「主権制限」の趣旨から見て江藤さんの立場をとる。「敵国と戦うという主権の発動」とみる。旧憲法の13条には「天皇は戦を宣し和を議し及び諸般の条約を締結す」とある。昭和天皇は昭和16年12月8日「米国英国に対する宣戦の布告」を出された。マッカーサーノートにある「交戦権」はこの条文をさすのだと思う。現行憲法ではこの条文「交戦権は認めない」という主権制限が生きている限り自衛隊が海外派遣で敵と戦うことができない。正当防衛以外武器使用は憲法違反である。このような不都合な事態に今の日本はなっている。一国では国を守れない国際情勢下、これでは集団安全保障に伴う国際協力も集団的自衛権の行使も出来ない。憲法改正は急務なのに国民は平和憲法を護れと言うだけである。平和の危機が迫っているのにその事態を改めようとしない日本はまことに不思議な国である。