銀座一丁目新聞

追悼録(637)

友人狩野弘道君の「偲ぶ会」盛大に開かれる

友人狩野弘道君の「偲ぶ会」に出席する(6月19日・ホテルオークラ東京)。肩書は東京中央食品株式会社代表取締役会長、セントラルフーズ代表取締会長、日本サンテ代表取締役社長。花に埋まった祭壇にはありし日の狩野君が藍綬褒章と旭日双光章を胸に付けた遺影が飾られていた。戦後いち早く飛び込んだ食品業界で学校給食から始め、病院や介護施設などに事業を拡大、システムのコンピューター化など他社に先駆けて導入するなど業界から注目される異色の人であった。会社設立61年の前日の4月8日に亡くなった。享年91歳。

「功なりて君召されたり花祭り」(同期生・荒木盛雄)

狩野会長の口癖は「花も実もある人となれ」であったという。この言葉は我々陸士59期生が陸軍予科士官学校に入学したときの校長牧野四郎中将が我々に説いたものである。正確に言うと「花も実もあり血も涙もある武人たれ」である。狩野君は体躯堂々頑健に見えるが予科時代には保育中隊であった。この中隊は「体力、健康上特別な配慮を必要とする」生徒たちが配属された。食事には他の中隊の生徒と違って特別に牛乳や卵がついた。この日同じ中隊の別所末一君、指宿清秀君が出席した。このほか同期生は霜田昭治君、古屋康雄君、深尾秀夫君(関東食品社長)が姿を見せた。期せずして皆同じテーブルに集まった。狩野君の思い出で話に花が咲く。狩野君は学業・武術に優れた。剣道は有段者であり天覧試合に出た。後輩の60期生の指導生徒も務めた。父親は同じく軍人であり母親のぶさんは常陸宮の乳母であったという。

「薫風や君を偲びつ同期生」(荒木盛雄君)

創業者の常として彼が心を配ったのは後継者であろう。二人いる娘さんにはそれぞれ養子を迎え然るべき会社のポストにつけ教育した。だが創業の会社の後継者に選んだのが日魯漁業出身でニチロサンフーズ社長を経て請われて東京中央食品の副社長となった佐藤光一さん(68)であった(平成28年4月)。娘婿の憲彰さんを副社長にした。情に溺れないところが彼らしい。創業より守成の方が難しいのは『貞観政要』の説くところである。

彼との縁は共通の友人浅山五生君(三菱建設社長)を通じて部下の子弟のスポニチへの就職を頼まれたことによる。その意味では面倒見の良い、情けある社長であった。この日も多くの部下やOBたちが会場に訪れ彼を偲んだのも納得いく。叙勲のお祝いも社員主催の形でこのホテルで行われたのを思い出す。

彼を送り出すに最もふさわしいのは「遠別離」だろう。

「程遠からぬ旅だにも
袂をわかつは憂きものを
千重の波路を隔つべき
きょうの別れをいかにせん」

(柳 路夫)