銀座一丁目新聞

花ある風景(634)

牧内 節男

無辜の民を殺す勿れ

ヨーロッパでテロの恐怖が広がっている。テロ誤認騒ぎが各地で起きている。「アラーの神は偉大なり」と叫んだだけでパニックとなったり爆竹の音を爆弾だと誤解して群衆が逃げ出したりして大勢の怪我人が出る始末である。「一犬虚を伝えれば万犬実を伝う」。これでは既にテロに負けたことになる。テロの思うつぼでもある。

ISは2020年に「イスラム国」建設する目標でテロ活動を活発化している。インターネットの普及で過激思想に共鳴する若者が出てきて「テロ戦闘員」になっている。テロは時間も場所を問わず不特定多数の人々を犠牲にする。まことに不条理である。いかなる理由があろうとも無辜の民を殺害するのは許されることではない。

英国マンチェスターでの自爆テロ事件では街頭浮浪者が負傷者を助けており、ロンドン橋のテロ事件でも追われる女性を庇いテロ犯に立ち向かったりした店員もいる。社会生活の根底には人間の相互の愛情・思いやりが流れている。

中東のサウジアラビア、エジプト、アラブ首長連邦、バーレーン、イエメンのアラブ5ケ国がペルシャ湾の小国・カタールを「テロ組織を支援している」として6月5日国交を断行した。もう少し大人の判断が出来なかったものか、残念でならない。目先にとらわれずに「国相互の信頼」を大事にしておれば避けることができたはずである。“テロ掃討"の大局に立てばいがみ合っている場合ではない。

日本の新聞・テレビはテロが起きる度に日本人の被害はないと報道する。何も言わなければ被害がないということである。何故報道するのか。これは「自分のところだけ安全であればよいという一国平和主義の表れである」。このような報道をするのはおそらく日本だけであろう。憲法9条にしがみついて集団安全保障・集団的自衛権の意義も知らず、国際協力を忘れ「専守防衛」にこり固まった珍事でもある。

その対極にある考え方の象徴的のものが「共謀罪」である。現代人の自由を束縛しかねない悪法である。いずれこの法律は拡大解釈されて運用されるだろう。極端に言えば一人のテロ犯人を捕まえるために100人の冤罪者を出す法律である。英国の法の格言に「一人の冤罪者を出すより100人の泥棒を見逃せ」というのがある。英国ではそれだけ人権意識・自由の意識が尊重される国だということだ。日本人は極端に走り勝ちである。心せねばならぬことだと思う。