陸士59期生の最後の全国大会開かれる
牧念人 悠々
陸士59期生の最後の全国大会が5月15日東京・市ヶ谷の「ホテル・グランドヒル市ヶ谷」で開かれた。出席者は同期生67名・家族43名、合計110名を数えた。4年前の平成25年9月13日の全国大会も最後と言いながら開いた。来賓の偕行社理事長・冨沢暉さん(防大4期・元陸幕長)が「これが最後。これが最後といいながら来年も開いてください」と挨拶される。同期生の絆はそう簡単に消えない。会の終わりの挨拶の中で戦後間もなく59期生会を立ち上げた清水廉君が渋い声で詩「金州城」を吟ずる。「山川草木轉荒涼…」長男勝典中尉(陸士13期)を失った乃木希典将軍は南山で「征馬不前人不語」と続ける。入校時3000名いた同期生は今や500人足らず。59期生会の役員を務めた友の多くがすでに鬼籍に入り、あるひは体調不良で姿を見せない。人前で初めて詩吟をするという、感慨深げな清水君の姿に拍手が起きる。
加藤良幸三等陸佐が指揮する陸上自衛隊東部方面音楽隊が最初に演奏したのは「59期生会歌」であった。「朝に望む芙蓉峯 夕べたたずむ琵琶湖畔…」振武台・相武台・修武台で折に触れよく歌った。「往け59期 使命は重し」。
「満堂に響動(とよ)もす軍楽風光る」(荒木盛雄君)
考えれば自衛隊の軍楽隊は軍歌を後世に伝える“楽人たち"である。東部方面軍楽隊は1都10県を担当し年間100件の演奏をこなすという。
世話人の梶川和男君が挨拶の中で4月20日長野県佐久の権現山で行った碑前祭に触れ、ここが59期地上兵科の聖地であり"われわれの遺跡“として残したいと語る。ことしの碑前祭には11名が参加した。
「桜咲く紅一点の碑前祭」悠々
今回は紅一点・峯村康子さん(故峯村重夫君夫人・長野市在住)が出席。これまで峯村君と何回かここを訪れたことがあるそうだ。この日、桜が例年になく満開であった。
来賓を含めて出席者は中隊順に別れて11卓のテーブルに着き、お互いに思い思いに世相に雑談に花をさかせた。私のテーブルの隣に座ったのが岩崎静子さん。御主人功君は平成6年1月亡くなられた。すでに23年もたつのに大阪からわざわざ出席されたのは嬉しい。聞けば功君は杏樹飛行場で訓練中、ソ連軍の満州侵攻で転進が遅れてソ連に抑留されため結婚も遅かったという。杏樹飛行場では避難の途次、ソ連の飛行機の銃撃で武山利起男君と仏性泰二君が戦死。日本に帰るはずの両君の遺骨は混乱する牡丹江の飛行場の中で分からなくなる不運も起きた。満州で操縦の訓練中の59期生のソ連抑留者は40名を超える。抑留地中に死亡した2名を含めて13名が靖国神社に祭られている。
同じテーブルの予科で一緒であった佐藤成雄は元気そうであった。少年時代から空にあこがれ航空へ進み、戦後も弁護士をやりながら80過ぎても自家用機を操縦していた異色の同期生だ。懇親会で歌われた「航空百日祭」我々の心を捉える。「されどめぐらせわが思い 図南の鵬にあこがれて…」。別所末一君、余田和夫君、中江正夫君、遠藤司君らが壇上で歌った「思いは遠く」は満州で訓練中殉職死した日野宜也君が作詞したのを唱歌「たき火」で有名な渡辺茂が作曲したもの。「父母は宜き哉 友は宜き哉 夕風そよぐ 大草原…」
今なお我々の心を打つ。校歌斉唱の指揮を執った安田新一君は奥さんの美津子さんを同伴、同じ席であった。ペースメーカーを入れている奥さんにテーブルの料理を皿にとって頂いた。後で聞くと家では何かと用があると呼び鈴で安田君を呼ぶという。これは主人がそばにいてほしいと願う妻の"愛の呼び鈴“だと私は名づけた。会場では星野利勝、信子夫妻に逢う。音楽好きの夫妻に再三音楽会に誘われた。信子さんは私と同じく満州育ちだ。この日、安田君と写真担当の霜田昭治君を含めて歩兵の出席者12名。壇上で「歩兵の歌」が響く。「退く戦術われ知らず 見よや歩兵の操典を 前進先進また前進…」老いてもこの気概を持ち続けたい。
北俊夫君がおはこの「戦友」を14番まで歌い上げる。この4月、愛妻を失くしたばかりの北海道の野俣明君が元気な声で「健康音頭」と続く。季節ごとに街並みのスナップ写真をメールで送ってくれる高田昭二君と顔を合わせる。「今パソコンが故障していて写真が送れないのだ。勘弁してくれ」と言い訳をする。同期生はあくまでもくそ真面目である。懇親会の冒頭で偕行社若木利博事務局長が「行幸を仰ぎて―昭和18年12月9日」の同期生の感想文と当日のCDについて説明、希望者に配布する。今回は2世の会が大きな支えになり、運営された。壇上で神保明生さん、前沢潤さん等首都圏・近畿・中部各地の2世幹事が紹介される。名古屋在住の伊藤真利さん(渡辺寿夫君の娘さん・渡辺君は平成22年死去)は挨拶の中で「父は我が人生に悔いはない。友情は宝と言っていました」という。朗読をやっており毎年8月6日、8月15日には不戦の朗読会を開いていると報告する。前沢功君夫妻を見かけた時すかさず「よい息子さんを持って君は幸せだな」(前沢潤さんは長男)と声をかけた。大村助吉区隊長(51期)の息子さんの大村政義さんも同期生の面倒も2世の会のお手伝いをしている。
別所末一君、荒木盛雄君、不破喜久雄君らが高砂の「千秋楽」を飛び入りで披露する。「民を撫で 萬歳楽には命をのぶ相生の松風 颯々の聲ぞ楽しむ颯々の声ぞ楽しむ」。芸達者な同期生もいるものである。余田和雄君が近畿の同期生の状況や活発な動きを見せている2世の会を説明する。碑前祭にも顔を見せた不破喜久雄君が愛知県の同期生の状況を説明、万歳三唱して閉幕。全員で記念写真を撮って解散する。この日司会は務めたのは半田精三君(陸経)。開会の辞から閉会の辞まで声大きく明良で、名司会であった。
「卒寿もて結びも固し五月晴」(荒木盛雄君)