銀座一丁目新聞

安全地帯(538)

湘南次郎

想えば遠くへ来たもんだ

老生、いよいよ齢(よわい)90才を越えた。家内も米寿になった。人は物知りとほめてくれるが、実はその人より人生経験が多いだけなのだ。一休禅師が「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし」。大正に生まれ、昭和、平成たっぷり享受した。堅い話は抜きにして、読者諸氏もこの歳になれば珍談、奇談こんなものとご参考に、順不同だが記して見よう。

朝、目が覚めて「さあ、未知の世界へ挑戦だ。今日は何をしようか」と定年時の意気込みだったのも今は衰え「ああ、今日も生きていたわい」の心境になってきた。悪さ仲間だった親友は全滅してしまい、さびしくなった。不思議と元気にやっていた奴から順に逝ってしまった。しかし、あんなに友の死を悲しんでいたのが不謹慎にもこのごろは、それ程ではなくなって来た。その分、自身があの世に近くなって来たからもう少し待っていろよと言うことか?

かつて紅灯の巷(ちまた)に酒が飲めないのでジュースのダンナと言われた時もあった老生も、もう形無しだ。このごろ身体がこわばって来た。コシ、ヒザは以前から痛いが、立ったままではズボンがはけなくなる。地面や、かゆい背中に手がとどかない。医師に言われ散歩(雨天を除き約三千歩)をするが、坂道をなるべく避けてアゴを引け、コシを伸ばせと言い聞かせ、転倒予防になるアメリカにいる義弟が贈ってくれたノルディックストックを突いて4本脚で歩いている。特に下りの坂や階段はヒザにこたえるが、坂道を最近後ろ向きに下ると痛くないのを発見した。すこし恥ずかしいが人のいない道では端を徐行して下っている。駅のエスカレーターは下りが少なく、かげにあるエレベーターを探すのも一苦労。ふだんの外出は一本杖だが、電車やバスではほとんどの方が席をゆずって下さるのはありがたい。

このごろ夫婦の会話に代名詞が多くなり、あれ、これ、それ、あそこ、と思い出せずじれったい。そのうえ耳も遠くなり大声でわめきあう。また、不思議と忘れっぽくなるが古いことより新しいことを忘れることが多いが、たまには久しぶりに逢った人に「やあ」と握手、久闊を叙していながらアダナは思い出すがはて苗字は?とにかく老生の伯父は新宿駅に子供を忘れて帰宅、「お父さん、行男は?」「あれ、忘れて来た」という一族だからもの忘れには事欠かない。時には自転車で行って歩いて帰って来る。傘を置いてびしょ濡れで帰って来る。杖をついて行って杖なしでビッコをひいて帰へって来るとまことにお恥ずかしいかぎりだ。

昨年は旅行で、カメラを列車の中へ置き忘れ、幸い拾得があり送ってもらった。おかげで安倍、プーチン会談の時に泊まった長門温泉大谷山荘の写真はなし。もっとも家に帰って娘からケータイで撮ればよかったのにと言われギャフン。そんな装置もあったんだ。眼も相当いたんで来た。今も年2回続けているJRフルムーン旅行もプランを立てるのに時刻表の0、3、5、6、8、9の判読を間違え、旅行会社のおねーさんに恥をかく。眼医者に上まぶたのたるみを直してもらいたいのだが、なかなかやってくれない。仕方がないのでセロテープで持ち上げるとよく見える。テレビのコマーシャルで万能の老眼鏡を宣伝しているので買ってみた。メガネの上にして見るが、良く見える。また、携行品が増えた。

定期的にノコギリヤシ(夜中の小便止め)、安定剤(就寝)、血液サラサラと快便の薬を飲む。これをしょっちゅう忘れるので百円市で一週間分、朝・昼・晩・寝る前と小分けにしたケースを買って来て入れているのだがそれでも時々忘れる。もう救う道はない。5月1日号本誌の「花ある風景」の某氏のごとく六つの日課表を遵守している聖人(自称120才まで生きるかも)ならいざ知らず、自称悠々自適の老生など、まめに動くこともままならず、「過去を謳歌するものは弱者なり」との負け惜しみを言いながら、時にはコンビニ特売の100円のお握り、ファミレスの割引券を活用して三度の食事の補助に家内の手を省いてやっている。

最近、人の声がダンゴのように丸まって選別がむずかしくなったので補聴器を買った。着けて間もなく車で30分ぐらいの某所に片耳落とし、知らずに帰宅。家内が気付き、二階にいる娘夫婦と探しに行ってヤット発見、有り難う。テレビで天皇陛下も同じの器械をお使いになっているのを見る。アナウンサーの声だけは判別ができるとおっしゃていたが、老生も同じだ。最近はテレビの音声を無線でとばすコードレスイヤホーンを愛用している。便利なものができたものだ。

子供の時、祖父母が日向ぼっこしながらコクリ、コクリしていたのが不思議だったが、この歳になると夜、良く眠れているのに真昼、所かまわず眠くなる。だから新聞や読書は遅々として進まない。そのコクリがなんとも気持ち良い。しかし、ボケ予防に、かつて受講した資料を持って2回目の「吾妻鏡」(鎌倉時代の正史)の講義を電車に乗って受けに行くのだが、面白く為になるのでこれだけは眠くない。勝手なものだ。

今は、親孝行な娘夫婦と2所帯住宅で、ひ孫も5人(時々名前を間違える)、安住の日々だがわが人生も先が見えて来た。生命保険の勧誘の電話には歳を言うとガチャン。整形外科医にヒザの人工関節の相談をしたらもうお歳ですからとことわられる。上瞼の持ち上げもやってくれぬのは、ハッキリ言えばもう余命が少ないからだろう。お愛想のいいのは○○互助会つまり葬儀屋と骨董屋・ゴルフ屋ばかり。家内が3年前にペースメーカーを入れた。取り替えの話をしたら得意げに「今は10年持つのよ」とノーテンキ。「おまえ、取り替えの歳にはいくつになるんだ!」

自家用車は夫婦とも運転するし300キロぐらいは遠乗りもする。無論必要な土地柄に住んでいるのだが、そろそろ潮時だ。維持費と危険度、タクシーなど乗り物代と比べ諦めて免許更新で返納にするか?昔の彼女と別れるよりつらい。家内はまだまだ、頑張るらしい。とにかく、アクセルとブレーキの踏み間違いしないよう、事故だけは気を付けよう。

世情は近来にない大騒動だがそれはそれ、今夜も家内は近所のコーラス会の予行演習でパソコンから音楽を出し、美声?をはり上げている、老生はパソコンのキーをポツン、ポツンと押し、苦闘しながら回顧録を書く、二階の娘夫婦は杤木までヨーロッパ旅行の時の同志会へ出かけ天下泰平。このノーテンキの平和もいつまで続くことやら。かくして、歳月は待たず、老化は順調に着々と進んで行く。遠くには「祇園精舎の鐘の声、諸行無情の響きあり」か。