銀座一丁目新聞

追悼録(633)

佐々木叶さんを偲ぶ

毎日新聞社会部で一緒に仕事をした佐々木叶さんがなくなった(5月1日・享年52歳)。毎日新聞の社史に残る屈指の事件記者である。ロッキード事件で社会部長になった時(昭和51年3月)、早速、当時、編集委員であった佐々木叶さんに「遊軍としてロッキード事件を取材してほしい」と頼んだ。佐々木さんは警視庁クラブキャップ・裁判所クラブキャップ・社会部デスク・水戸支局長を経験したベテラン記者であった。即座に「言われなくてもやるつもりであった」という返事をいただいた。期待通りの働きをしていただいた。

スポニチをやめてネットの新聞『銀座一丁目新聞』を開設した際,その第1号の本紙の茶説「議員の五十年表彰」を書いていただいた(平成9年4月1日号)。まずそれを再録して彼を偲びたい。

『中曾根康弘元首相が、国会議員在職五十年表彰をうけた。彼は、衆院本会議場で演説し「表彰に値するかどうか、恥多き五十年」といった。 風見鶏とも厚顔無恥とも、陰口をたたかれたかれだが、その率直な言葉には、えもいえぬ人間味を感じた。さすが五十年の強者。超然として、心の素肌を見せるあたり、やはり、したたかな政治家というべきか。

それにくらべて、中曾根より一足先に、昨年、五十年在職表彰をうけた元衆議院議長、原健三郎は「恥多き」とはいわなかったが、私には、いまも不愉快な印象が残っている。

昭和37年秋、武州鉄道汚職事件。原も業者側から30万円を受け取り、東京地検特捜部から参考人として事情を聞かれた。当時、彼は衆院副議長だったが、取材に訪れた私に対して「オレは、君の新聞社の社長を知っている」と、初めは居丈高に、最後は「頼むよ」と私の背広のソデにすがっての哀願。政治家の表と裏。それ以来、私の「政治不信」が根づいた。 10年近くに及ぶ私の特捜事件取材メモには、300人からの参考人(灰色)の政治家の名前がある。職務権限や金銭授受の趣旨から逮捕をまぬがれた人々だが、政治家としての“汚点"には変わりない。在職25年とか50年とか、議員寿命だけが、果して政治家の名誉といえるのか。長いだけが功績ではない』

彼とは60年のつきあいである。行動力と企画力があった。毎日映画社の社長時代には裁判所クラブ時代の人脈を生かしてユニークな映画を製作して業績を上げた。その手腕を買われて毎日新聞の取締役にもなった。佐々木さんの最大の特色は自分の気に食わないことがあると上も下もなく噛みついたことである。職場でも出先でそれは変わらなかった。だから彼に対する評価が分かれる。外部でも彼を高く評価してくれる方も少なくないし、毛嫌いされる方もいる。私は記者としても経営者としても高く評価する。昨今は縁遠くなったが彼が闘病生活を送っていると風の便りに知った。ここにきて彼の訃報を聞いた(5月8日)。人との巡り合いは不思議なもの。深く長く…あっけない。まことにさよならだけが人生であるとしみじみと知る。佐々木叶さんのご冥福をこころからお祈する。

(柳 路夫)