銀座一丁目新聞

花ある風景(632)

並木徹

桑原武夫の蔵書の行方が気にかかる

「銀座展望台」(4月28日)に桑原武夫さんが図書館に寄付された蔵書について書いた。
『桑原武夫さんも30年近くたつと忘れ去られて"焚書の刑“にあうとはまことに悲しい。

フランス文学者で元京都大学教授、桑原武夫さん(1904~1988)の遺族から寄贈された蔵書約1万冊を遺族に無断で京都市が破棄(2015年12月)していたことが分かったという(毎日新聞4月27日夕刊)。蔵書が活用されなかったことや目録があるというので破棄したというのが言い訳である。本が重複しても「桑原武夫コーナー」を設けるとか何らかの工夫は出来なかったものか残念である。私は万巻の書を読む者はどの分野に行っても一流の人物になれると思っている。だから、志ある学生がこのコーナーを訪れたら大いに知的刺激を受けるだろうと想像する。そんな考えを持った図書館司が一人でもいたらと思った…』。新聞記事によると、桑原蔵書は一般の眼をふれることもなく破棄されたようである。具体的に「破棄」とはどのようなものか知りたい。

桑原さんにどんな蔵書があったのか手元にある本で調べてみた。その著書「私の読書遍歴」(潮出版社・昭和53年8月25日発行)には「私にも多少の蔵書があり、中に稀観書に近いものも、二、三なくはない」とある。謙遜しておられるがかなり値打ちのある本である。バルザックの個人雑誌「パリ評論』の合本、モルネの『フランスにおける自然観』、ルネ・カナの『孤独感情について』等々。スタンダールはシャンピニオン版をそろえていて、うち数冊は25部限定の日本局紙本であると、明らかにしている。「局紙本」など私は見たこともない。貴重であるのは間違いないが好事家なら大枚をはたいても自分の宝物とするであろう。これらの本が古本屋に処分する際、どれほどの値段がつくのかわからないが惜しいことをしたものだ。私なら気心の知れた古本屋に高額で買ってもらう。

例えば、バルザックは『パリ評論』には1830年に『不老長寿の霊薬』という作品を、1831年には『三十女』の第二章を投稿。『赤い宿屋』を1831年に、『柘榴屋敷』(原題は『親なし子たち』)と『捨てられた女』を1832年に、『十三人組物語』のうちの一編を1833年に発表、1834年には『ゴリオ爺さん』の連載をそれぞれ掲載している。まことに貴重である。

このように文化に関心を持たない人が少なくないのは愚直に一つのことに熱中する人が少なくなったという事であろう。東京でなく京都で起きた出来事であるのに私は深く憂いを深くする。この記事を書いた記者はさらに稀観書の行方につい取材する必要があるように思う。