銀座一丁目新聞

安全地帯(536)

川井孝輔

向島百花園く

首記、向島百花園の名前を承知しては居るものの、訪ねたことのある人は以外と少ないのではなかろうか。かく云う、江戸っ子を自負する小生も、予て聞いては居たものの、訪ねる事を怠って来た一人である。過日、すみだ北斎美術館を観た際に、緑町公園の案内板で首記を発見し、頭の片隅にあった記憶が急に膨らんで、直ちにタクシーを飛ばしたものだった。場所は墨田区の東向島三丁目で、最寄り駅は東武スカイツリーラインの東向島駅である。

改めて調べてみると、百花園は200年の歴史を持つ、江戸時代からの由緒ある庭園であることを知った。初めて聞く名前だが、「佐原鞠塢」という仙台出身の骨董商が、1804年に開園したと云う。現在で言う「ガーデニング」の走りのようなものらしいが、梅の木を360本も植えたとの事。既に梅屋敷が存在していたので、新梅屋敷とも花屋敷とも言われたようで、当時の文人墨客のサロンとして利用され、絵師・酒井抱一や狂歌師・大田南畝らの名前が残って居る。隅田川七福神の発祥の地であり、園内には福禄寿尊堂が鎮座して在るが、三囲神社(恵比寿・大国神)、弘福寺(布袋尊)、長命寺(弁財天)、白髭神社(寿老人)、多門寺(毘沙門天)をもって隅田川七福神と称する由。現在の百花園は都立庭園として管理されて居る。

因みに現在の都立庭園には、向島百花園の他、浜離宮恩賜庭園・旧芝離宮恩賜庭園・小石川後楽園・六義園・清澄庭園・旧岩崎邸庭園・旧古河庭園・殿ヶ谷戸庭園の九か所が在る。殿ヶ谷戸庭園は名前すら承知して居なかったが、その他の庭園には馴染みがある。特に六義園は、幼年校に入るまで通った府立五中のすぐ近くに在るので、何回か尋ねて想い出が深い。

百花園の入口は、まさに庭園風らしい趣がある。頭上の額には太田南畝の書で「花屋敷」の文言が掲げられてあった。丁度時季外れの為折角の百花園も、歴史的由来の濃い割りには、華やかさに欠けるものが有った。あせびの花も貧弱で、此れだけは我が家に在るものに軍配を上げたくなる。だが「い」の東京市碑から、「や」の宝屋月彦句碑迄、29 もの石碑には詩歌等が刻まれて在って如何にも出色である。「は」の松尾芭蕉は、「春もやや けしき ととのう 月と梅」と詠んで居り、他にも山上憶良・宝井其角等の名前が見られて興をそそのかされる。然も石碑その物の形がユニークで、これは百花園として特徴的なものではなかろうか。句を親しむ人には是非、向島百花園に足を運んでもらっても良いと思われた。

H29.4 記


百花園入り口

あせび

萩のトンネル

梅(ぶんご)

福禄寿尊堂

茶室

松尾芭蕉句碑

其角堂永機句碑

山上臣憶良歌碑

益賀句碑

月岡芳年翁之碑

雪中庵梅年句碑

日本橋石柱