銀座一丁目新聞

安全地帯(532)

信濃 太郎

芸術は長し…歌川国芳展を見る

春の一日、府中市美術館に遊ぶ(3月17日)。お目当ては「歌川国芳 21世紀の絵画力」。今、国芳ブームだという。三代豊国(国貞)、初代広重、それに国芳を加えて江戸末期の浮世絵界の三大巨匠の一人であれば当然であろう。展示された作品は119点(このうち9点は別の画家の作品)。十二分に堪能した。国芳が死んで今年で158年。講談社から「歌川国芳」(2600円)の豪華本も出版された。

国芳を好きになったのは高橋誠一郎著「春日随想」(読売新聞刊・昭和48年1月25日第一刷)による。その著書の中で邦枝完二の「河童図絵」が取り上げられ、国芳の逸話が紹介されていた。貧苦に堪えかねた国芳が葭戸を売って食に代えようとして、夏の一夜、之を背負って大川の東河岸を通った時,丁度、同門の先輩國貞が愛人をともない,涼を追って河端を浮かれ歩いているのを見て、自分のふがいなさを愧じ、持っていた葭戸を河に投げ込んだまま,逸散に家に帰り、その後はひたすら画技に精通したという。国芳が描いたのが文政10年(1827年)に発表した水滸伝シリーズ「通俗水滸伝豪傑百八人」である。会場には8点があった。地底に閉じ込められていた108の妖魔が解放されて豪傑となり、湖水の船着き場のほとりにある梁山泊に集まり国を救う中国の長編小説が元になっている。それぞれの豪傑の形相に国芳の抑えがたき憤怒がくみ取れる。時に国芳31歳。男が自立するのは30歳ごろであろうか。孔子もそういっている。

もう一つ、飯沢匡さんの戯曲「天保の戯れ絵―歌川国芳」(三幕八場)が記述されている。国芳が天保14年に出した3枚続きの錦絵「源頼光公館土蜘作妖怪図」。よくよく見ると面白い絵である。この絵は水野越前守忠邦の天保改革に不満だった国芳の諷刺画として知られる。題材は頼光の土蜘蛛退治からとっている。頼光と言えば「大江山の酒呑童子退治」で有名である。絵の右端にひげを生やした頼光が眠る。その背後に牙をもつ土蜘蛛が立つ。頼光の四天王が侍る。そのうちの二人は碁を打っている。夜分に右側から赤の衣装をまとった土蜘蛛に指揮された化け物の土蜘蛛が17匹、左側に黒装束の土蜘蛛の大将に率いられた化け物の土蜘蛛が20匹あまり、蚊帳の中にいる頼光らに襲いかかる。蚊帳の中で頼光が襲われるのは、「和漢準源氏 源頼光 薄雲」でも同じである。この時は頼光一人だけであった。土蜘蛛軍団が不満を爆発させた民衆とすれば、頼光は12代将軍家慶、四天王の一人勘解由判官卜部季武が水野忠邦、他の3人は家老である。天保14年9月には水野忠邦は失脚する。もっとも「源頼光の四天王土蜘退治の図」では四天王と平井保昌を加えて五人が土蜘蛛を退治する絵が怪奇に描かれる。3枚続きの絵の真ん中に捕えられた土蜘蛛が大きな目を二つぎょろりと輝かせ、その後ろに三つのちいさな目も鈍い光を放つ。民衆蜂起も首魁の運命を暗示させたのかもしれない。

会場の一隅に「へたうま」のコーナーがあった。わざと下手に書いて味わいやうまさを引き出すというのである。それだけ絵が飛びぬけて巧みだというのであろう。そうでなければ下手に絵を画けない。「白面笑のむだ書」。壁に描かれた役者の似顔絵。「わらっているかをだ」「なるほどめうだ」などとかかれいる。

歌川国芳、今にあらしめばどのような「へたうま」でこの世を描くであろうか。さしずめトランプ米国大統領の似顔絵を描かせてみたい。