銀座一丁目新聞

花ある風景(627)

並木 徹

「秩父路や柞紅葉の風の音」

毎日新聞とスポニチでともに仕事にいそしんだ宮前和子さんから句誌「春燈」(主宰・安立公彦氏)1月号と3月号が送られてきた。お互いに定年後は会う機会がなく、年賀状のやり取りだけはかかさなかった。彼女が俳句を楽しんでいると聞いて今年の年賀状に「俳句を見せてください」としたためた。私も10年間、『自鳴鐘』の主宰寺井谷子さんを選者に俳句を月に3句を作り勉強した。「直観直裁」を旨とし我が道を往くので一向に上達せず、いまだに俳句の道の入り口辺りでもたもたしている。宮前さんは3年前に春燈俳句会に入会,毎月投稿、精進している。在職中も丁寧に仕事をきちんとこなしておられた。寡黙にして自律心の強い人であった。句にはその人柄がそのまま表れている。

「秩父路や柞紅葉の風の音」(宮前和子)

昨年10月30日、31日に行われた「春燈秩父勉強会」での一句。参加者48名(句会の240句から類推)。初参加は宮前さんを含めて3人。一行は秩父神社、慈眼寺、武甲酒造、ちちぶ銘仙館、四萬部寺、金昌寺、西善寺などを見学する。秩父には34ゖ所の観音霊場がある。確かに秩父は春夏秋冬の季語に事欠かない”俳句の山里“だ。懇親会の席上、宮前さんは特別選者とともに「秩父音頭」を歌われたというがこのような隠し芸があるとは知らなかった。

「春うらら吾も聞きたし秩父音頭」(悠々)

彼女の句「柞紅葉」がいい。品よく、格調が高い。私は「山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武」(「山科の石田の小野に柞原見つつか君が山道越ゆらむ」・巻9―1730)を思う。紅葉は銅色の渋い色。母蘇は古来文学の対象になっている。「母蘇紅葉の風の音」に耳を澄ませば聞こえてくるのは諸行無常か,それとも死者を弔う読経か・・・句を味合えば味合うほど味がにじみ出てくる(柞はこなら・くぬぎの総称)。この勉強会で詠まれた句の中で私の心に響いたのは次の2句であった。

「一番札所秋寂ぶ音の御賽銭」(松崎利雄)

「石仏に父のおもかげ草の花」(尾野奈津子)

「春燈」1月号には
「団栗のひと山積まれ道祖神」(宮前和子)がある。私は毎年夏に10日ほど戸隠に遊ぶ。三叉路によく道祖神が目につく。もともと魔よけの神だが土地境界を示すものでもあった。彼岸・葬式には道祖神に団子を供えるところもある。「春かすみ歴史彩る武甲山」(悠々)であってみれば、道祖神に詩情を感ずるのは当然の成り行きであろう。それとも齢とともに趣向が「鉱物」へ向いたのであろうか・・・

「春燈」3月号には宮前さんの4句も紹介されている。

「門松の緑さやけし路地の奥」

「追羽根の音なつかしや夢の中」

「初寝覚いつもと違ふ穏やかさ」

「霜柱つぶやくごとく崩れゆく」

宮前さんに挨拶の句を贈る。

「春暁や共に詠わん五七五」(悠々)

これに対する彼女の挨拶句は
「風光る直観直裁五七五」であった。

なお宮前さんは歌も勉強しておられる様子で歌誌「歌と観照」3月号も送っていただいた。感謝のほかない。