銀座一丁目新聞

茶説

一撃を食らった後の対応の仕方

 牧念人 悠々

第4回ワールド・ベースボールクラシックの2次ラウンドで日本がイスラエルを8対3で下した一戦(3月15日・東京ドーム)で感じたことがある。5回裏、日本の攻撃で4番筒香選手がアクセルロッド投手の直球をとらえてホームランを打ち0対0の均衡を破った。この後、日本チームが勢いに乗り合計5点を挙げて勝利をものにした。私がイスラエルの監督なら本塁打を打たれたところでアクセルロッド投手の動揺を察して即座に交代させるか、二呼吸ぐらいおいて続投させる。1点止まりなら後の試合の展開次第で勝利をつかむ可能性も残される。この試合の流れの中で筒香選手の大砲の一発は勝敗を決する意味のあるものであった。

年をとると、野球を見ていてもほかの事を考える。残り少なくなった人生で「一撃を食らったら」どう対処するか、などと愚にもつかないことを思う。その恐れがあるのは首都圏直下型大震災である。関東大震災からすでに93年、いつ起きてもおかしくない。流れから見て近い気がする。想定される被害は死者数1万3000人、建物全壊約85万棟、避難者約700万人とも言われている。府中の自宅にいた場合に起きた時はあらかじめ用意してあるリュックサックを担いで近くの広域避難場所「東京農工大学」へ避難する。外出時の場合は出たとこ勝負である。それだけの覚悟をしておきたい。避難する際、向こう三軒両隣、近くの人たちも無事かどうか確認。手助けしなければいけない時には手を差し伸べたい。それだけの心の余裕が欲しい。

3月10日の「銀座展望台」に書いた。「東日本大震災6年目。死者1万5826人、行方不明2550人、関連死518名。全国で暮らす避難者12万3000人。仮設住宅暮らし1万8000世帯。大震災の傷跡は深い。幾多の悲しいドラマを生んだ。被災者、遺族の胸の内は映像も筆にも表現できない。社会はそれをさりげなく映し出す。横浜で福島から避難してきた子供が友達から150万円もおごられたのを「いじめ」と認めない教育委員会。いじめを訴えても放置する先生。社会は意外と冷たい。残酷ですらある。考えられないことが現場で起きている。『学校は社会の縮図、子供は大人を見て弱いものを狙う』
悪い大人がいっぱいいるということだ」。 東日本大震災の最大の教訓は「常に最悪の事態を考えよ」である。津波の場合は「高台に逃げろ」が鉄則である。さらに行政は常に真実を伝えることである。とりわけ東電第一発電所の事故について「真実」をありのままに広報すべきであった。「全電源喪失」「冷却不能」の事態には「採算」よりも「安全」を優先すべしという教訓も残した。つまり「自然災害が過去の災害の範囲内に終わるという保証はない」というのがこの大震災の押さえておかねばならい教訓かもしれない。一審判決とはいえ前橋地裁は地震による津波は予見できたとして、福島県から群馬県に避難した住民らが損害賠償を求めた訴訟で、安全対策を取らなかった東電と国に賠償責任を認める判決を下した(3月17日)。そのうえ、「経済的合理性を安全性に優先させたと評されてもやむを得ない。特に非難に値する」とまで言っている。

野球の場合、「一発くらった時」それなりの対策を取ることができる。自然災害の場合、想定外の事が起きるので「逃げる」しか対策はない。問題は「逃げ方」である。そこに人間が出てくる。元士官候補生は「血も涙もある武人たれ」と教えられた。いざというときには恐らくあわてるであろうがその心構えだけは持っておきたい。