銀座一丁目新聞

花ある風景(625)

並木 徹

大学生の半数が「読書」していない…

元旦の茶説で若者の「生活の文法」が崩れているとしてある企業の従業員の新聞購読率が1.1%であることを取り上げた。さらに「新聞社を受験してくる若者の中には受験する新聞社の新聞すら読まないものが少なくない。せめて半年ぐらいは受験する新聞を購読するのが礼儀というものであろう。若者の新聞離れは年々ひどくなる」と述べて「はっきり言えるのは本、新聞を読んでいる者とそうでないものの常識・発想力・判断力・着眼点・把握力などすべてにおいて差が2、3年ではっきり出てくるということだ。これからの世は新聞だけでなく本もよく読んだものがのさばってくる。頭角を現すものが1.1%ということであろう」と締めくくった。

最近、さらにショックな数字を知った。全国大学生活協同組合連合会の第52回学生生活実態調査(2017年2月23日)によれば、読書時間調査では、1日の読書時間は平均24.4分(前年-4.4分)というのだ。1日の読書時間が「0」は49.1%(前年から3.9%増加)というからあきれるほかない。スマホの平均利用時間161・5分。時代はスマホがなくてはよも明けぬ有様である。これでは発想力も判断力もない若者が増えてくる。指示の待ちの人間が多くなってゆく。すでにそれが災害時など緊急事態に弊害としてはっきり出ている。6年前の東日本大震災の際、学校の裏に山があるのに校庭に1時間も近く待機し、子供の中には「裏山に逃げよう」という者あった。また市役所の広報車も津波の到来を告げ非難を呼びかけているのになんらの決断も判断もくださなかった。そのために多くの犠牲者が出た事例がある。

歴史書にも気楽に読める講談書にも先人たちは緊急の場合どの様に処置し、解決したか書いてある。どんな本でもよい。読めばいつかは役に立つし、自分の生きる力ともなる。自分の例を挙げる。大阪社会部での話だ(昭和38年12月)。朝刊で朝日新聞に中学生が数名家出して九州で保護された記事を抜かれたことがあった。その前の夜、読んだ岩波新書の佐山喜作著「中学生」(1972年・昭和37年刊)の受験の苦悩がそのまま現実化した事件であった。たまたまその時夕刊デスクであった。私は抜かれても“大事件だ”と判断して一面から社会面まで中学生の進学問題で埋め、著者の佐山喜作さんの談話まで掲載して報道した。出来上がった紙面はどちらが抜いたのかよくわからない事件であったばかりでなく中学生の家出の本質を突いた記事になっていた。当時単身赴任で気ままであったその効用もあった。

90歳過ぎて本は人一倍読んだつもりであったが、そこが底浅かった。万巻の書を読むべきであったとつくづく後悔している。新聞、本は読むべきなのに時代はいまや逆行している。日本の将来を一日読書時間24.4分、新聞閲覧者1.1%の若者に託すとは、なかなか死ぬわけにはいかない。