銀座一丁目新聞

追悼録(625)

「歌供養」を6月の季語にした船村徹を悼む

亡くなった作曲家船村徹さん(2月16日・享年84歳)は今年の正月、一句を詠む。「あの世から追われてまたも初日の出」

昨年5月、心臓の手術をして生死をさまよい乗り切った。「三途の川を渡ったのだが追い返された」と音楽評論家小西良太郎さんに語っている(スポニチ)。歌詞・曲に作る人の心が現れる。船村の調べには望郷と哀愁がにじむ。演歌の原点を求めて、ギターを抱え全国へ旅をする。刑務所慰問。漁民や農民と語る。歌を豊にするためだ。そんななかから刑務所で歌う「希望」(のぞみ)が生まれた。さらに「歌供養」の発想も出た。毎年新しい歌が幾千と生まれては消えてゆく。売れるのはわずかである。忘れ消えてゆく歌を供養したいというのだ。本心は思いやりの深い人であり、物のあわれを知る人であったと思う。

松尾芭蕉は「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、我が生涯いひすてし句は一句として辞世ならざるはなし」と言った。「三途の川を・・・」も船村さんの辞世と受け取っていいであろう。

今年の正月、「文天さん精進誓う初日の出」と私は詠んだ。書棚を整理していたら清水次郎長の辞世の歌(明治26年・1893年6月12日死去)のある新聞切り抜きが出てきた。「六でなき四五とも今はあきはてて先だつさいに逢ふぞ嬉しき」サイコロの目を読み込みながら今際の心境を読み込んだ素晴らしい歌である。内村鑑三さんもこの歌を褒めている。

生前、船村徹さんは毎日新聞の記者に「僕が死んでからでいい、歌供養が歳時記に6月の季題として残ってくれるといいんですけどね」と言った(毎日新聞夕刊「ひと」欄・昭和59年6月12日)。歌の世界ではたくさんの新曲が生まれては消えっている。その数、数知れず。船村さんは51歳の時から自分の誕生日の6月12日に「歌供養」を始めて毎年続けていた。

「歌悲し読経のなか歌供養」悠々

寺井谷子さんは「季語は日常の暮らしの中から生まれてきたものだ」といっている。とすれば、テレビの歌番組は毎日のようにあり、NHKの紅白歌合戦は視聴率30パーセントを超える。日常生活の中に歌はしみこんでいる。ここから新しい季題が生まれても不思議ではない。

「幾千の忘れ消えゆく歌供養」悠々

(柳 路夫)