花ある風景(624)
並木 徹
同人誌「ゆうLUCKペン」刊行の集い
毎日新聞OBの同人雑誌「ゆうLUCKペン」の第39集刊行パーティーが開かれた(2月26日・東京一ツ橋・アラスカ)参加者20人。今回のテーマは「我が健康寿命・・・・老人力」。執筆者25人。みんな思いつくまま自由に書いている。巻頭は松尾康二さんの「戦争のない世界を求めて」の一文と中国新聞(2016年5月27日)に掲載された全面広告「President Obama(オバマさん)Eradicate All War(戦争を廃絶してください)特定非営利活動法人『音楽は平和を運ぶ』
出席者の話が面白かった。乾杯の音頭を取った大島幸夫さん。来年ボストンマラソンに3度目の挑戦をする。参加資格は年齢が80歳。タイムが5時間以内の記録を持つもの。79歳の大島さん昨今。体調不良で今年の長野マラソンで試走して参加するかどうかを決める。ボストンは49歳の1回目が3時間4分台、59歳の2回目が3時間19分台であった。「老人力」ではなく「朗人力」だと思っているそうだ。介護付老人ホームを経営している大久保貞義さんが老人ホームの苦労話をしながら今回、学生に奨学金を与える事業を始めた話などをする。毎日新聞時代、奨学金だけでアメリカ・プリンストン大学に留学したことが経験になっている。『人生の恩返し』-ロイヤル福祉助成邦人奨学金―と『一瞬の星の光』-理想の有料老人ホームを求めて―の2冊の本をいただく。
堤哲さんが昭和44年5月8日の毎日新聞社会面「女子店員募集」の張り紙が写った写真付きの囲み4段の記事のコピーを配布する。4月に水戸支局から社会部に転勤してきたばかり。当時、渋谷・世田谷・目黒の3方面の察回り記者であった。松尾康二記者から「車のなから女子店員募集の張り紙を見た。年齢80歳までとあった。キミ3方面担当だろう。記事にならないか」と言われて取材したもの。場所は東京・世田谷通り。食料品店の求人広告。張り紙を出した商店主は「このままでは働き手がなくなって”黒字倒産”してしまう。あまりの求人難にささやかなレジスタンスを試みた次第」といっている。当時世の中は「いざなぎ景気」に酔い、GDPは西ドイツを抜いて2位になった。新卒中学生の求人倍率は24・66。商店主が悲鳴を上げるのも無理はなかった。このように時代を写す街ダネを報道するのは新聞しかない。ネット時代、新聞の存在を示し、生きぬく道はいくらでもある。
仏教を研究している大住広人さん(京都在住)は「罪と救い」について22ページにわたる文章を載せている。学があるのには感心する。「罪びとは我がもとに来れ」と言う。私の見たところ大住さんが一番悩んでいるように感じる。毎回、長野市からはせ参じる倉嶋康さんは元気がなかった。昨年11月12日長男望君を突然失くした。享年53歳。クモ膜下出血であった。望君は毎日の傍系会社東京データネットワークに勤め、父の背中を見て育ち、新聞記者にあこがれ毎日を誇りとして、古い白地に赤の車の社旗をいつもポッケトに入れていた男であったなど在りし日の息子さんの話をした。「今回はどうしても原稿が書けなかった」と語る。隣の席に座ったのが社会部長の大坪信剛君。聞けば私が西部代表をしていた昭和61年4月、西部本社に入社した。それから31年、私が社会部長になってから40年もたつ。日曜日出勤とは社会部長は昔と変わらずに相変わらず忙しい。「4月から社会部長、政治部長など編集局に4人の女性部長が誕生する」と話をする。世の中も大きく変わってゆく。いつもダジャレで会を進行してゆく諸岡達一さんはこの日も滑らかであった。編集後記に次のように書く。『我々「ゆうLUCKペン」仲間は、死ぬまでモノを言いますよ。いまは爺や婆はなかなか死にませんよ。「不老な不良」になろう。いまがイチバンといいという(老いる技術)を身につけているのが「ゆうLUCKペン」同人会員です』。この分では同人誌を発行しつづけなければなるまい。