銀座一丁目新聞

安全地帯(524)

湘南 次郎

鬼の目にも涙

「武士的情誼(じょうぎ)を涵養(かんよう)し 花も実もあり 血もあり涙もある武人たらんことを期すべし」この言葉は、大東亜戦争でフィリピンのレイテ島タクロバンにアメリカ軍の反攻を受け玉砕した京都第16師団長牧野四郎中将が転出前在職されていた陸軍予科士官学校長のとき、われら新入生第59期生に対する訓示の冒頭の言葉である。

「鬼の目にも涙」という諺があるが、残念ながら電通の十則を拝見し、企業優先としてはご立派ながら「情」を感じさせるものがない。従業員を奮い立たせ業務を遂行させる方策に誤りがあったのであろう。お気の毒な若い有為な女子の死があるなしにかかわらずだ。
老生もかつては陸軍士官学校の士官候補生として京都第16師団歩兵第9連隊に隊付勤務に派遣されたことがある。つまり体験実習である。かねがね戦闘惨烈の極所において部下がついて来てくれるだろうかと思いなやんでいた。昭和20年終戦も間近いころだったが、兵隊さんのほとんど20~30代、40代の召集兵で、現役の徴兵検査を受けた人は皆無、実際起居を共にして愕然とする。夜就寝前にする話は、いつ戦地に行くのか、父母、妻子のこと、食い物のことであった。昼は、忠君愛国、滅私奉公で苛酷な訓練をうけている人たちだ。当時19才の老生には校長閣下の訓示を思い浮かべこのことを旨に部下を指揮し戦闘する要諦と、これがわが終生の肝に銘じた金言になった。

「企業あっての従業員か」「従業員あっての企業か」。二律背反むずかしい。テレビ映画ツリバカ日記で三国連太郎の社長が「社長には従業員3000人の生死がかかっている」とよく言う。トップは鬼の十則では従業員が奮起して働かないことは認識されたと思う。老生は素人で、難しいことは判らないが、時代はますます変貌してきている。もちろん、打開策としては、収益は落ちても従業員の増員を考えなければならないだろう。表面上、会社は午後10時消灯退社させると。今度は仕事を家に持って帰ってせざるを得なくなるのが出るのではないか懸念する。

「過去を謳歌するものは弱者である」。90才にもなれば若いころを思い出し「おれの若いころは・・・・」と言いたくなることがいっぱいある。それを言っちゃおしまいよ。時代は変わってきた。いまの従業員は高校のころから労働基準法を学び、入社すれば多くは労働組合へ加入しているはずで、筋金入りの連中だ。

「情」のスジが一本入っていないで尻ばかりひっぱたいて業績を上げようとしても無理があるのではないか。智に働けばカドが立ち、情に竿させば流される、企業の業績と従業員の労働の兼合いをうまくコントロールしていくのがトップの腕のみせどころだ。それがため、大会社になればなるほど相応の処遇を受け責任が重大になるのはご承知のはずだ。先輩に言われたことがある。将校の胸に下がる金鵄勲章(きんしくんしょう)(戦で功績のあった者に送られる勲章・年金も付く)は部下の尊い命がかかっているのを忘れるなと。いまの時代「一将、功なって万骨枯れる」では困るが。この企業と従業員のコントロールができなければ大会社といえども崩壊するだろう。

(参照)労働基準法
    第1章総則
    第4章第32条 労働時間、休憩、休憩、年次有給休暇