銀座一丁目新聞

追悼録(619)

友人浜崎富雄君の死を悼む

友人の浜崎富雄君(神戸在住)が亡くなった(2016年12月18日・享年92歳)。神戸で「異人館」を経営していたと聞いた。関西で活躍しているオペラ歌手、濱崎加代子さんの父で、娘さんの音楽を通じて知り合った。霜田君が早速、2002年5月22日浜崎君を含めた同期生13人と夫人8人一行で外国旅行に行った際、ウイーン南の森・ヘルドリッヒミュール(シューベルト菩提樹作曲地)で写した記念写真を送ってきてくれた。懐かしい同期生の顔がいくつかあった。加代子さんが東京で初めて開いた「オペラティック・コンサート」(2004年8月27日・東京四谷区民ホール)の時、浜崎君を紹介された。今から12年も前の話である。その時の模様を2004年9月10日号の本誌で書いた。追悼の意味を含めて紹介する。

『同期生、霜田昭治君に勧められて足を運んだ。第二部、舞台のための歌曲集「彼女とー彼らと」GALA(ソプラノ・濱崎加代子、ピアノ・小梶由美子) は新鮮で意欲的で面白かった。第一部、加藤直・林光ソング集―ギョウザの夢―(歌・濱崎加代子・ピアノ・林光)は第二部への導入部と感じられた。第二部はガラをめぐる三人の男、ポール・エリュアール(フランスの詩人)、マックス・エルンスト(ドイツ生まれの画家、フランスヘ帰化)サルバドール・ダリ(スペインの画家)の物語と音楽である。濱崎の「ひとりオペラ」であった。多情多感なガラは1982年(昭和52年)6月10日、88歳でポルトリガの自宅でなくなる。ダリは最後の瞬間まで付き添ったという。ガラはロシアのカザンの生まれ。18歳の時パリに出る。M1「笑う煙」。ガラは「私は煙だ」という。濱崎の声は響く。魅惑的である。M3「ガラという祝祭の神話」。詩人エリュアールと出会う。10代で恋人となり、結婚する。エリュアールは自由の為に戦った抵抗詩人として知られる。ガラにとって男としては不満であったようである。結婚生活は亀裂する。それでも彼は愛の詩を綴る。『ぼくはきみと別れた。だが、愛はまだぼくの前を歩いていた』。M4「愛と絶望」からM7「変化」。画家エルンストの登場である。夫への飽きたらない思いがガラをエルンストヘ走らしたともいえるが、夫もそれを認めていたふしがある。M8「男友達」M9「人は休みなく愛している」。「多情多感は人間の本性よ」と女友達がのたもうたが、濱崎はのびのびと人間賛歌を歌う。

M10「愛の記憶」からM13「悲しみよ今日は 悲しみよさようなら」。スペインの超現実派の画家ダリの出現である。シュールレアリスムの旗手ダリは作品だけでなく全生活が超現実的であった。二人が出会うのは1929年(昭和4年)の夏で、ガラは夫のエリュアールとその友人たちと一緒にスペインのカダケスに滞在中のダリを訪ねた時である。ダリはたちまちガラの虜になった。ダリはガラの背中に魅せられてしまう。ダリ25歳、ガラ35歳である。ガラにささえられ たダリの仕事は円熟味を増し、その多彩な才能は開花した。ダリは「私が画家でいられるのはお前のおかげなのだ」と告白する。「私の生涯における星輝く原野の巡礼」と言わしめる。濱崎がつけた口髭は、ガラがその仕事をしっかり支えてというダリの象徴。ソプラノが冴え渡る。

M14「?」ダリの作品に「レダ・アトミカ」(1949年作)がある。白鳥と女性の裸身を描き、足元に聖書を配した図柄である。広島、長崎で炸裂した原爆が触発したイメージである。核兵器の出現とその破壊力はダリに強い衝撃を与えたといわれる。演出・台詞・作詞の加藤直さんが作曲の林光とともに「男と女 聖と悪 国家と個人等と諸諸の『境界』から世界を見よう」というならそのはざ間で、その波打ち際で、私たちはしかとこの世界の未来を見つめよう。濱崎の心に響いた歌声を記憶の底に留めながら帰途についた。この夜、同期生のよしみで出席したのは霜田と夫人恒子、河部康男、荒木盛雄、川井孝輔、渡辺瑞正、星野利勝夫人信子の諸君と諸嬢であった」

交流はまだ続く。本紙2007年4月1日号には次のようにある。
『霜田昭治君から一枚の写真が送られてきた(2007年3月25日)。「写真『彼女と老いたる彼らと』をおくります。歌姫を囲んで向って左から霜田昭治・渡邊瑞正(画家)・牧内節男(ジャーナリスト)。又はガラと(以下順不同です)ポール・エリュアール(フランスの詩人)、マックス・エルンスト(ドイツ生まれの画家・フランスへ帰化)、サルバドール・ダリ(スペインの画家)   2007年/3/23」。注釈を加えると3月23日午後7時から「かつしかシンフォニーヒルズ・アイリスホール」でオペラ歌手、濱崎加代子さんの舞台のための歌曲集「彼女と彼らと」が開かれた。この三人は加代子さんが始めて東京で開いた「オペラティク・コンサート」で「彼女と彼らと」も聞いている(2004年8月27日・四谷区民ホール)。霜田君は我等三人をエリュアール、エルンスト、ダリと誰とも特定せず「順不同」としたのは友情からであろう。舞台が終わった後、ホールの入り口付近で加代子さんと一緒に写真を撮った。歌曲集にちなんで「彼女と老いたる彼らと」と題して写真を送ってくれた次第である。

「ひとりオペラ」は多情多感、自由奔放なガラと三人の詩人や画家を巡る物語である。今回も「笑う煙」から幕が上がる。「私は煙だ」というガラは「男にとって捉えどころがないということか」と本紙(2004年9月10日号「花ある風景」)に感想を書いた。もっと奥が深いようである。男と女、聖と悪、国家と個人等諸々の「境界」を意味しているように私には思えた。煙の先に見えるのは愛、それとも自由か・・・終幕は「?」で終わる。これは観客がそれぞれの思いの言葉を入れればよいのだろう。私は「自由の煙」と入れる。愛の詩で確乎たる地歩を築いたエリュアールとの結婚、「愛と絶望」「コンプレックス」「変化」をへて画家、エルンストへ走る。それから狂気のダリの登場である。この舞台ではピアノの小梶由美子さんが朗読を担当する。「ダリという人間は、比類なく崇高な存在であり、それがわたし、ダリなのである。わたしは、たえず宝石と狂気を原野にまきちらすことによってわが天才をなおいっそう光輝あるものにするあらゆる方法を知っているし、また活用している」ダリの告白は続く。ともかくガラなくしてダリは画家としても男としても生きてゆけなかった。そうでなければ「夢と現実が白昼夢のように融合した世界」を描けなかったと思う。濱崎さんの哀切なソプラノは会場一杯に響く。確かな存在感を感ずる。演出家の加藤直さんは「ひげ」を浜崎さんにつけたがるようだが、今回の「ヒゲ」は一段と見栄えがした。それだけ浜崎さんの進境著しいものがあったということであろう』 ここに浜崎君へ心からお悔やみ申し上げる。

(柳 路夫)