銀座一丁目新聞

安全地帯(522)

川井孝輔

小豆島周遊

年初から念願していた「小豆島周遊の旅」を、11月18日に無事終えた。今回はツアー参加でなく、叉行き当たりばったり風でもない、自分なりに計画したものだ。だが小豆島に渡るにしても、姫路・日生・岡山・玉野・高松その他からと、多様なルートがあって迷ったものだった。先ずは土庄町の観光課に電話で尋ね、資料の送付をお願いした。早速「宝石箱小豆島」と銘打った綺麗な冊子の他、バス・フェリーの時刻表、旅館・レンタカーの一覧表、島内のマップ等々沢山の、而も親切心溢れる資料を送ってもらい、感謝・感激する。観光情報も、微に入り細に入ったもので、選ぶのに苦労するほどの濃密さであった。岡山迄は早いものの、その後のバス・フェリーの、待ち時間が長く結構時間の掛かることが分かった。結局は島に2泊して、島内観光に専念することにした。

16日朝、8時50分の「のぞみ」で出発して、岡山駅には12時15分に到着する。後楽園を観たとき以来の下車だが、この南口は初めてである。新幹線の大きな駅舎を出ると、犬・猿・キジを連れた桃太郎の像があった。桃太郎伝説と岡山との関係は思いつかないが、吉備の国とキビ団子に共通音のご縁があるからだろうか。特に眼を引いたのは大きな球形の噴水【1】だった。近代的な駅舎には、このような仕掛けの噴水も悪くはない。その後岡山新港から、フェリー70分の航海を経て、15時過ぎに漸く土庄港に到着した。東京より日没が遅いことを考え、明日の行程を考慮して、予約レンタカーの手続きを済ませると、早速に行動を開始する。


【1】

平和の群像
旅を計画した発端は寒霞渓にあったが、小豆島の名前を一躍有名にしたのは、やはり映画「二十四の瞳」にあるようだ。港近くの公園内に、昭和31年に建てられた「平和の群像」【2】が在る。分教場に通う12人の生徒たちが、「おなご先生」の高峰秀子を囲む姿だが、「平和の群像 の題字は、時の総理大臣鳩山一郎が、署名している。珍しいオリーブの歌碑【3】が在った。作曲・服部良一、歌手・二葉あき子は良く知っているものの、歌詞・河西新太郎の名は初めて聞く。香川県出身の詩人で、校歌を多く手掛けた様だ。尚オリーブの女神像【4】もあって、如何にも観光の島、オリーブの島に相応しい。


【2】

【3】

【4】

エンジェルロード
静岡・和歌山県などにも、潮の満ち干により、島への道が現れるという例は多いが、エンジェルロードとして有名なのは,此処小豆島らしい。勿論エンジェルは天使を意味する。余談ながら、ギアナ高地の落差979m世界第一を誇る、「エンジェルフォール」のエンジェルとは、アメリカ探検家の名前であるらしい。午前・午後に夫々5〜6時間の干潮時があるとの事で、時刻を確認して走る。三々五々小石混じりの砂の道路を渡る人が見えた。人並に先端の島迄歩いたが、島の周囲には未だ潮があって、裏側には行けそうに無い。マップでは似たような砂道が在るようだったが、それも見えなかった。恋人の聖地「約束の丘展望台」とある石碑の脇から丘に登ると、全体が良く見渡せた【5】。丘には由緒ありげな釣鐘【6】があって、二人連れが吊り紐を引く姿が見られた。夕日【7】が美しい。【8】は展望台の麓にある小豆島国際ホテルだが、野外のテラスから眺める風情は、乙なものがありそうだ。吊り紐を引いて願いを込めた二人連が近い将来、このテラスからの朝夕を懐かしむ、というような事になるのかも知れない。


【5】

【6】

【7】

【8】

寒霞渓
本命とした寒霞渓だが、日本の三大渓谷美として、妙義山・耶馬渓と並ぶとある。三つとも観たことになるが、此処が最高との感興を得て満足している。因みに、三大渓谷とは59遊会で行った清津峡と、黒部・大杉谷を言うらしいが、大杉谷には行った事が無い。むしろ昨年訪ねた高千穂峡を入れてやりたいと思ったものだ。処が、念のために調べた三重県の大杉谷は、真に素晴らしい。実際にトレッキングした人の体験記が、美しい写真と共にあるのを見ると、心が揺さぶられる。今十年程若ければ挑戦した筈で、卒寿を思えば残念乍ら夢物語だ。それはそれとして寒霞渓の今は最盛期で、ロープウエーの待時間が長いと聞き、朝食抜きでホテルを出る。山道に入って途中の寒霞渓湖広場で一服する。内海ダムとも称し、堤頂長423mの案内板があったが、水量は真に頼りない。【9】は「寒霞渓もみじロード」の石碑で、既に山全体の遠望【10】が美しい。標高295mの紅雲駅からの一番車に間に合う。同じ考えの人が多いと見え、ゴンドラには4〜50人が乗り込んだ。標高612mの山頂駅までは5分足らず。確かに峡谷とは異なる渓谷美【11】〜【14】は山一面の広がりで素晴らしい。【15】は終点だが、岩の多い寒霞渓独特の様子が分かる。岩肌の露出した景観が多く、普通に観る紅葉とは異なる風情だ。頂上には如何にも岩山の寒霞渓らしい石碑【16】が在った。ここ迄は車でも来られるのだが、ゴンドラからの景観を見たさに車は麓に置いて来たのだ。下りでは上りで気の付かなかった、瀬戸の海【17】が遠望できて良かった。同じ岩肌でも、上りと下りで【18】は若干感興が異なるようにも思える。改めて山道を走る。【19】は途中の紅葉だが、両側から覆い被るように迫る紅葉の山道【20】が、何とも言えぬ醍醐味である。ここは「一句」欲しい所だが。山頂に戻って改めて山の紅葉【21】、眼下の景観【22】【23】を楽しんだ。念願の寒霞渓観光もこれで見納めと、山頂【24】では心置きなく寛ぐことにした。


【9】

【10】

【11】

【12】

【13】

【14】

【15】

【16】

【17】

【18】

【19】

【20】

【21】

【22】

【23】

【24】

大坂城残石記念公園
島の北岸、小海地区に公園は在る。公園の記念碑にしては、大きすぎる程に立派な石碑【25】が眼に入る。資料館入り口には、香川県指定文化財としての史跡「大阪城石垣石切とび越丁場跡および小海残石群」との案内板があった。考えてみれば石切場が海岸に在ろう筈は無く、其れは東方の「とび越神社」西隣に、大阪城の巨石を切り出した丁場跡に残って居る、との案内板を見て納得した。迂闊にもこの公園で、石切場の跡が見られるものと思ったのは、浅はかだった。ここは巨石群を積みだす処で、其の残石が在ると言うことなのだ。普通に見られる石垣用の間知石に比べれば、はるかに大きな残石が、公園縁の石垣上【26】に並べられてある。資料館は公園広場の周囲を囲む形で細長く、石をそりで曳くための道具【27】【28】その他が展示され、広場の棟寄りに石臼【29】が並べてある。又、石を切り出す方法の説明【30】があった。


【25】

【26】

【27】

【28】

【29】

【30】

絵手紙
島に来て、自然石に画かれた「絵手紙」に気が付く。近年「絵手紙全国大会」が島で開催されたらしい。それがきっかけで、土庄町では絵手紙を石に貼って、歴史と浪漫あふれるアートの世界、「石の絵手紙ロード」を繰り拡げて居る由。総計39個の石の絵手紙【31】【32】が点在するが、それを纏めた冊子を手に入れることが出来た。意外に面白く、また珍しいものと思われる。


【31】

【32】