追悼録(616)
現代語感の富山治夫さんを偲ぶ
手元の本を整理していたら富山治夫さんの「現代語感」(講談社・2004年7月13日第1刷発行が出てきた。スポニチ時代、岩波ホールの集まりで大竹洋子さんに紹介された。それ以来のつきあいである。写真家の 富山治夫さんが亡くなった際(10月15日、肺がんで死去、享年81歳)、この本を探し出して見たのだと思う。 掲載写真195枚。いずれも見出しがついている。その見出しの感覚が時代を捉え鋭く鋭利である。「過密」「連帯」「鑑賞」「飼育」「愁訴」「定年」「自主」「定着」「不在」「許容」「安住」「自立」「魔女」…2字で表現した1960年代の日本の世相である。一ひねりも二ひねりもした熟語である。昭和39年9月から約1年半「現代語感」シリーズは「朝日ジャーナル」で続けられた。発案者は劇作家の飯沢匡さん。「新聞紙面に踊る活字から2字の言葉を選びその語感を映像化したら面白いのではないか」飯沢さんの編集者としてのセンスは昔から抜群である。
「連帯」。(「朝日ジャーナル1964年9月27日号」)。皇居前、和田倉橋。10組のアベックのキスシーンが撮影されている。昔、あるツアーでドイツの公園で同じようなシーン出くわした。同行のドイツ人の年配の女性に質問した。「何故、彼らあのようにしているのか」。答えは「愛しているから」であった。「過密」(「朝日ジャーナル」1964年9月13日号)。安全地帯で電車が来るのを待つサラリーマン、OL、職工たち。電車が満員でも庶民は働かねば生きてゆけない。すでに50年余も過ぎ、電車の軌道は消えてしまいこのような姿は見られない。今の日本は人口も減るばかり。地方は過疎になり、地方創生が叫ばれる。50年たつと世の中も大変化を起こすということ。人間が先を見通す大切さを教える。「許容」(「朝日ジャーナル」1965年2月21日号)。着ぶくれのラッシュアワーをとったもの。区間は三鷹駅から新宿駅まで。昨今は満員電車に乗ることはないが将に殺人的であった。それを「許容」という日本人の感覚は日本人の国民性の中にあるのか知れない。「このあたりで手を打とう」「いい加減にしておこう」という言葉がある。「神の国」(2000年「月刊現代」8月号)。大きな菊の御紋章がある靖国神社の大扉を閉めている写真である。「神の国」は2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会で当時の森喜朗首相が行った挨拶で言った言葉である。この年の6月25日衆議院解散、これを世は「神の国解散」と称した。主権在民、民主主義のこの世の中で「神の国」というので非難がおきた。私は別におかしいとは思わない。「神の国」でも「仏の国」でも構わない。私は月に1度は必ず靖国神社に参拝する。同期生13名をはじめ先輩の英霊が祭られているからである。2字語感による写真が続く…。
これからはデジタルの時代、富山さんは「デジタルの写真映像を光画と言いたい」という。写す行為と視点によって新たな映像写真の展開を予想した。それなのにあまりにも早くあの世に行ってしまった。
(柳 路夫)