銀座一丁目新聞

茶説

自然流で余生を生きる

 牧念人 悠々

孔子曰く「70にして心の欲する所に従いて矩(のり)をこえず」。その意味は「70のこの歳、自分の心の求めるままに行動しても、規定・規範から外れるということがなくなった」ということである。私はそれから遅れること14年、『矩を越えず』はともかく84歳の時「自然流」を心がけるようにした。その時の心境を漢詩にした(平成11年6月7日)。

『処事為以自然流(事を処するに自然流をもってす)
接人不怒如南風(人と接するに怒らず南風のごとし)
人生百余年悠々(人生百余年悠々たり)
豈不楽往我ヶ道』(あに楽しからずや我が道を往く)

この頃「銀座展望台」はどのようなことを書いていたのか、平成11年6月7日と8日の項を紹介する。

「銀座展望台」6月8日(水曜日)晴
▲東京スカイツリー(高さ634メートル)が来年5月22日開業する。第一展望台(高さ350メートル)の料金は2000円、第二展望台(450メートル)は3000円である。
人間は高いところから眺めるとものの見方が変わってくる。視点の違いである。今まで見えていないものが見えてくる。時には人間のやっていることが愚かに見えてくる。
政治家がよく庶民の目線でなどと格好の良いことを言うが、それよりも「東京スカイツリーの目線」でものを見たほうがよい政治ができるであろう。
私は高所恐怖症だから東京スカイツリーは外から眺めることにして展望台は遠慮する。

「銀座展望台」6月7日(火曜日)晴
▼菅直人首相は完全”死に体”である。8月と言わず6月にも辞任したほうがよい。その醜を末代まで残すことになる。おそらくそんなことは分かっていないであろう。
大連立政権が浮上してきた。首相候補にいろいろの人物が登場する。中でも面白いのは国民新党の亀井静香代表の名前が挙がっていることだ。自民党とのパイプもあり、運輸相、建設相、自民党時代政調会長などを歴任、経験豊富ということらしい。
それにしても民主党には人物はいないのか。

昨今は多少はぼけてきたものの、考え方・見方は14年前と今でもそう変わっていない。悟ったわけではないが昔のように”瞬間湯沸し”的なところはなくなった。怒らなくなったのは確か。だが「人生百余年」は自信がなくなった。どうも体のバランスが取れないのだ。「せめて東京五輪開催まで」と目標が低くなった。
そこでこの14年の間に得た自然流のもの考え方を披露する。

1、「物事は徹底すべし」。劇作家・井上ひさしにしろ作家・司馬遼太郎にしろ万巻の書を読み、広く資料を集めて物を書くことに徹底した。中途半端はいけない。出来るだけ本を読むようにする。

1、「世の中に“絶対”はあり得ない」。「物事は疑ってかかれ」ということである。絶対の正義などない。売国奴と言われる人に価値を見出せということである。クインス・オブ・スポーツ「競馬」で言うなら、ガチガチの本命はないということである。もっともその見極めは難しいが・・・。

1、「物事は楽しむべし」。かみさんがリューマチに罹って、病院通いするようになってから家事をするようになった。「男子厨房に入らず」で初めはいやいややっていた。「トイレに神様がいる」と知って楽しんで精を出すようになった。後始末のやり方にその人性格がはっきりと出る。己の心を磨く上に家事も役に立つ。楽しんでやれば成果も上がる。時折、「洗い方が雑だ」と小言を食う。それでも{瞬間湯沸かしにはならない。己がいとほしくなる。

時折、時間を持て余すことがある。その時口に出るのが「イロハニホヘトの歌」である。しばしば適当に節をつけて歌う。「色は匂へど散りぬるを我が代誰ぞ常ならんうゐの奥山けふ越えて浅き夢見じ酔もせず」。 『余生』をこの自然流の物の考え方を旨として時の流れに任せたいと思う。