銀座一丁目新聞

茶説

大隅良典さんの「生物に学べ」の教え

 牧念人 悠々

俳句の世界では「物で書け」とよく言われる。「よく感じること」でもあり「よく見ること」でもある。山口誓子の句。「鯉のぼり風に折れまた風に伸ぶ」。鯉のぼりをよく観察している。ともかく観察したままを言葉にすれば俳句になる。「漁火と島灯見分かぬ湯ざめかな」(横山節子)。横山さんは的矢湾から見下ろす宿のテラスで質問する。「先生あの日は漁火ですか島灯でしょうか」「そのまま句にしたらいいですよ」と教えられる。だが、実際に作句してみると難しい。

新聞記者時代「現場百回」、「物から物を聞け」と教えてくれたのが警視庁名物鑑識課長・岩田正義警視(故人)であった。現場に残された遺留品・現場の状況が事件のすべてを物語っているという。わからなくなったらまた現場に戻って考えよと、教えた。「物から聞く」のも「物で書く」のもそう簡単ではない。何かブラスアルファがいる。その人の「心」ではないか。「文は心なり」と言う。文章にはその人の柄が現れる。書もまた同じである。すべてが中途半端に終わる私にはよくわからないがそういう気がする。

ノーベル賞受賞の大隅良典さんは顕微鏡で酵母を観察し続けて「オートファジー」(自食作用)を発見する。ある講演会で「遠い将来を見据え、いかに自然に負荷をかけずに生活できるか、生物に学ぶことがある」と語った(毎日新聞)。大隅さんは生物が細胞内でたんぱく質を分解して再利用する「オートファジー」のことを言っているのだが不要物を再利用する知恵は地球温暖化に向かう現代、必要である。このままでは異常気象が続く。昨今、日本に大型の台風が襲来しし、竜巻が起きる頻度も少なくない。ノーベル賞受賞者の大村智さんは「自然が答えを持っている」と言っていた。人が見向きもしないことをコツコツ研究していると自然が褒美をくれるのかもしれない。別に褒美をくれなくても良い。神様が見ていてくれればよいと思う。