銀座一丁目新聞

安全地帯(515)

川井孝輔

佐伯泰英の文庫本に嵌る(上)

幼年学校時代から終戦までの5年間は、私物本の持込み禁止の為、読書の機会は閉ざされていた。更に戦後は、日本鋪道の現場に泊まり込み、汗を流していた関係で、読書の時間は限られていた。と言うのは弁解だが、元来読書の素地がない。そして卒寿を迎えて現在に至るのだが、難しい内容のものには目が向かなくなってしまった。そのような時、ふとしたことから表記の文庫本に出会ったのである。当時北方謙三の「水滸伝」全20巻を揃えて読んでいた頃である。率直に言うと「水滸伝」に出てくる地名もそうだが、出場人物が意外に多い上に,その読み方に難儀して覚えるのに辟易し、記憶力の減退を痛感して居た時でもあった。曾って塩野七生の「ローマ物語」43巻を、大変苦労して読み上げたものだが、それに引き換え今回の文庫本は苦労が無い。真に気軽に、楽しみながら読むことが出来る。佐伯の文庫本は江戸末期に時代設定された上、地域名・人物名に馴染みがあり、何よりも歴史的事実を混じえてあるので受け入れ易い。「水滸伝」を途中休みにしてから早や一年近くになろうか。「交代寄合伊那衆異聞」23巻を手始めに、「酔いどれ小籐次留書」20巻、「夏目影二郎始末旅」15巻、「吉原裏同心」23巻、「密命」26巻、「新古着屋総兵衛」6巻と、計100巻を越える書下ろしを読んで来た。

書下ろしとは、単行本を経ずに直接文庫版で発行されるものと云うが、そのような事は別に問題ない。シリーズ全体での筋は当然有るものの、一冊一冊が単行本のように読めるのが特徴だと思う。ともあれ「交代寄合伊那衆異聞」から入ったのだが、無論佐伯泰英なる作者も、初めての出会いであった。佐伯氏は1942年福岡の生まれだが、日大映画学科を卒業してスペインに渡り、闘牛の写真家として異才を放っていたという。34才の時に闘牛を題材にした新書を出し、作家としての道を歩み始めたが、当時の売れ行きは芳しく無かった。それが1999年57 才の時、書下ろし時代物作品「瑠璃の寺」がヒットして、今日に至るとの事。可成り遅咲きの作家と言えるが、爾来の活躍は実に素晴らしい。吉川英治・大仏次郎・柴田錬三郎・池波正太郎・藤沢周平等、好みの著名作家が夫々に多数の名著を世に残して居るが、今や佐伯の文庫本はその発行部数に於いて、先輩作家を凌ぐ勢いである。佐伯氏自身が「電車の中で気軽に開いて貰えば良い」と言うように、作品の価値・内容に就いての比較を、今考える必要は無い。楽しくさえあれば良いと云うことだ。

「交代寄合伊那衆異聞」
交代寄合とは旗本でありながら、大名のように参勤交代を義務付けられた家の事で,名誉有る家柄とは云えるものの、経済的には大きな負担になって居た。信濃の座光寺家も、養子を迎え辛うじてその家柄を保って居たが、安政の大地震の折、肝心の当主が行方不明になる。地元から江戸の安否を確かめるために派遣された本宮藤之助が、当主の悪行を暴き斃して、次の当主に推薦される処から物語が始まる。時はペリー来航に揺れ、下田にはアメリカ総領事のハリスが着任して、急速に開国の流れが見えて来ていた。当主に収まった座光寺藤之助は活路を長崎に求め、其処の豪商高島家の孫娘・玲奈を知る。時代が既に士から商に移りつつある変化を見た二人は、暗黙の契りを結んで上海に密航する。主役の行くところ常に事件有りだが、藤之助の負け知らずの剣さばきと、度胸満点の玲奈との息の合った交易を通じて、中国・ベトナム等を含む国際的な物語になる。凡そ150年前の幕末動乱期を舞台にしているが、我々の年齢を考えると大層な昔ではない。当時の日本が、開国の嵐の前に行く先が見えなかったと云うが、全世界的規模で俯瞰すると、むしろ現代の方が深刻だと著者は言う。第23巻の「飛躍」は著者の「交代寄合伊那衆異聞」に寄せる思いを凝縮したもののようだ。主役の籐之助が乗る「ベンガル号」を旗艦とする三隻の「東方交易」船隊が、世界に雄飛する姿を描いている。更に、老中安藤信正・勝海舟・イギリス公使オールコック他の実在した多彩な人物を浮かばせての、含みのある幕引きとなって居る。

「酔いどれ小籐次留書」
豊後森藩の下屋敷厩番・赤目小籐次は、大酒会で一斗五升の酒をあおり、藩主久留島通嘉が参勤交代下番の見送りを欠礼して,奉公を解かれた。文化14年(1817)正月、藩主の通嘉が城中で、讃岐丸亀・播州赤穂・豊後臼杵・肥前小城の四藩主から「城なし大名」と侮られた事件を聞いた小籐次が、下番する四大名の行列を襲い、御鑓の穂先を奪って藩主の意趣を晴らしたことから物語が始まる。意趣晴らしは結局四藩主連名の詫び状と、四本の御鑓を交換する形で終結し、幕府の御咎め無しで事は済んだ。小籐次の名は広く江戸の庶民に知れ渡ることになるが、名を辱められたとして復讐を図る四藩から身を潜める苦労と、文字通りの貧乏を強いられることになる。そのような時、曾って箱根の山中で山賊に娘をさらわれそうになった一家を助けた、その江戸屈指の紙問屋久慈屋昌右衛門の世話で、芝口新町の新兵衛長屋に落ち着く。第一巻の「御鑓拝借」はプロローグであり、これからがシリーズの本番になる。常に刺客の眼を意識しながらも小籐次の日常は、長屋住人の暖かい人情味の豊かさに助けられて、穏やかな日々が過ぎる。久慈屋の好意に依る猪牙船を使い、昔操った杵柄で佃島から大川を越え、富岡八幡方面まで足を伸ばして,砥ぎの商売で生計を立てて居る。更には、下屋敷時代の竹細工内職の余技を生かし、久慈屋の紙を使った行灯が縁で、水戸家との交流も得る。勿論御鑓を獲られた四家の意趣返しは執拗で、必殺剣の見せ場も随所に出てくる。だが人柄が理解されるようになると、南町奉行所との協力関係、直参旗本水野監物のような有力者の庇護をも得るようになる。一方雇われ刺客の一人、須藤平八郎を斃した折の武士の約定で、平八郎の赤子を育てることにもなるのだ。五尺少々の矮躯の上に、容貌甚だ見劣る小籐次は、而も子連れ。それでも根が優しい処から、水野家の美女、女中おりょうの知己を得る。だが身をわきまえて、片想いに終始する純情無垢が良い所。長屋の住人や猪牙船仲間の女性たちの信頼が厚い。第20巻の「状箱騒動」を読み終えたが、まだまだ事件が起こると見えて、物語は終わりそうに無い。

「夏目影二郎始末旅」
影二郎は江戸の桃井道場で師範代を務め、「桃井に鬼が居る・・・」との評判が立った。義母との確執から家を出て無頼の徒に。愛する女「萌」を死に追いやった十手持ちを切り捨て、あわや遠島になる寸前にあった。勘定奉行に昇進した父は、腐敗した「八州回り役人」処理の為、息子を助けてその剣技を利用するという大筋である。何時の世の役人も、権力と金との縁は切れぬと見え、賄賂を貪る代官、或いは公金の横領者、弱者をいたぶって悪事を重ねる闇の男、それに山賊・海賊等々。影二郎の前に次々に現れるそれらを、探索・誅殺して行く鮮やかな剣技には、惚れ惚れする。第一巻の八州狩りから始まる「狩りもの」シリーズである。影二郎定番のいで立ち姿は、一文字笠に惚れた女の形見である唐かんざし、それに攻防自在の南蛮外套と、腰の剛刀である。之で最終回の神君狩り迄を終始する。その題名も好い。最初の「八州狩り」から代官狩り・破牢狩り・妖怪かり・百鬼狩り・奸臣狩り等と続き、神君狩りに終わる。故あって無頼の徒になったが、本来の影二郎は正義感に強く義理人情に厚いところがあって、巻毎の事件解決は爽やかである。弱きを助ける国定忠治とは気が合い、助け・援けられたりの間柄で、「忠治狩り」の段では深い関わりを持つことにもなる。最終巻も国定忠治が出て来る内容。父との関係もあって、実在した幕府中枢の人物名が随所にみられ、水野忠邦・鳥居耀蔵・江川太郎左衛門・高島秋帆・遠山影元等の名が懐かしい。全編を通じて江戸の時代色が濃密に描かれ、幕府職制・庶民の生活・貨幣・時刻表示等が垣間見える中に、新知識の得られるのも又楽しいのである。

(10月20日号に“下”が掲載されます)