銀座一丁目新聞

花ある風景(605)

並木 徹

詩歌で綴るリオ五輪賛歌

▼「艱難、汝を玉となす
その言の葉を一筋に
臥薪嘗胆十余年
今。待望の時至る」(無名戦士の歌)
女子200m平泳ぎで、この種目でバルセロナオリンピックの岩崎恭子以来、24年振りの金メダルを獲得した金藤理恵選手(27)を見ているとなるほどと思う。実力がありながらロンドン五輪の選考に漏れ、何度か引退を考えた後、再挑戦する。レースでは2位のロシアのエフィモワ選手を1秒67の大差で破る「金メダル」であった。10年目の快挙であった。それを支えたのが家族であり、コーチであり、会社の仲間である。人間一人では生きてゆけない。だが本人の努力と挑戦する気持ちが何よりも大事。臥薪嘗胆だ。

▼「昨日の敵は今日の友
語る言葉も打ち解けて
我は、たたえつ彼の防備
彼は、たたえつ我が武勇」(水師営の会見)
体操男子個人総合で連覇を果たした内村航平選手(27)の優勝インタビュ―の際、外国メデアから「あなたは審判に好かれているのでは?」という意地悪な質問が飛んだ。
無理もない。最後の「鉄棒」の演技が始まる前までの内村選手の得点は76.565.一位のウクライナのベルニャエフ選手(22)の得点は77.466.その差が0.901もあった。それを内村が「鉄棒」で15.800の完璧に近い演技を見せたからである。ベルニャエフ選手は14.800であった。その差は0.099で内村選手の逆転金メダルとなったのだ。この質問に内村選手は「そんなこと思ったこともない。みんな公平にジャッジしてもらっている」と答えた。テレビで見る限りかなり怒っている様子であった。ところがこの質問に憤然としたのが隣にいたベルニャエフ選手であった。「審判も個人のフィーリングはもっているだろうが、スコアに対してはフェアで神聖なもの。内村はキャリアの中でいつも高い得点をとっている。それは無駄な質問だ」と切り返した(スポニチ)。ベルニャエフ選手の「金メダル」答弁である。場外演技では文句なくベルニャエフ選手に「金メダル」をあげたい。

▼「命もいらず、名もいらず、官位もいらず、金もいらぬという人は始末に困る。この始末に困る人でなくては大きな事業は出来ない」(西郷隆盛)
テニス男子シングルスで錦織圭選手(26)が銅メダルを獲得した。テニスでのメダルは全競技を通じて日本の五輪史上初のメダルとなった1920年アントワープ五輪以来96年ぶりである。1920年8月14日から30日までベルギーで開かれた大会は第一次大戦後わずか1年半しか経っていなかった。この大会には敵国であったドイツ、オーストリア、ブルガリア、トルコなどには招待状が出なかった(日本選手の参加15名)。この五輪から初めて五輪旗が登場し、主催国の選手代表が宣誓の言葉を述べることが始まった意義深い五輪であった。日本はテニスシングルスで熊谷一弥選手が、ダブルスでは柏尾誠一郎選手と熊谷選手の組が銀メダルをそれぞれ獲得した。この五輪では獲得したメダルはこの二つだけであった。
五輪は錦織選手にとって勝っても世界ランキングのポイントにも反映されず賞金もない。いわば名誉のためだけである。「日本のために頑張るというのは心地よかった」と錦織はいう。

▼「鞭声粛々夜河を渡る
暁に見る千兵大牙を要するを
遺恨十年一剣を磨く
流星光底長蛇を逸す」(頼山陽)
テレビでその試合ぶりを見る限り女子卓球の平野愛選手(27)の表情は前よりも凛々しくなった。自信が表情に溢れていると思った。卓球女子シングルスで自身初の4強入りを果たしたもののメダル獲得に一歩及ばなかった。勝負の神様に見放されたとしか言いようがない。まさに「長蛇を逸した」。女子団体ではシンガポールに3対1で勝って辛うじて銅メダルを取った。それも2勝1敗で迎えた第4試合で15歳の伊藤美誠選手がシンガポールに勝っての栄冠であった。ベンチの福原は石川佳純選手(23)と抱き合って泣いたという。
リオ五輪の日本チームの成績は先のロンドン大会より上回った。さて、東京五輪はどのような人間ドラマを展開されるか今から楽しみだ。新都知事小池百合子さん、腕の見せ所ですよ…